糊塗日記

不定期更新。学生です。

「ニュートンの蕾」22話感想

「ニュートンの蕾」21話感想 - 糊塗日記

↑まえ

 

集英社公式アプリ少年ジャンプ+にて毎週火曜日更新の漫画(笑)「ニュートンの蕾」の感想を作者(汗)玉響しゆに敬意を払いつつ書いていく。暑くて死ぬ。

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このセリフすこしモヤっとする

  • 絵のこと

いつも通りスカスカな点を除けば特になにも問題ない作画だった。1週間休載を挟んで病気みたいな作画から抜け出せたようでなにより。柊の回想中の作画は見てるものを不安にさせる力があったが今週から安定するなら良い。

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前話で柊の長い回想が終わり今週はメインヒロインの橘カットから始まった。以前まで敷いてあったベット下のカーペットがなくなっている。ミスに違いない。1コマ目から作者の安定感を見せつけられむしろ安心した。

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橘とその弟?兄?のキャラクターが同じノースリーブのパーカーを着ている。タイトルコールで2人がポーズをとって並んでいるが見るに耐えない。ペアルックでも精神ダメージを受けつつ男のノースリーブで追い討ちをかけられた。先生…この高度なファッションセンスはどの層の読者に喜ばれるんですか。

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橘のスマホが映るとき、また以前つけていたアイテム、キモいスマホケースが消失している。冒頭でもともと黄色く見えていたぬいぐるみをしまう描写があるため「黄色断ち」している可能性があるのだがスマホケースを取り外すシーンをカットするほど余裕がなかったように感じなかった。ミスと思われる。

玉響世界のルールに「昨日身につけていたものが明日もあると思うな」が追加された。

弟?兄?が荻と見分けがつかなかった。またか。同じ顔の人間がかなり近い位置に3人集まるなんて作中の荻顔たちの運命力の高さを感じる。オリジナル荻が荻1、柊の回想で登場したヤリチンが荻2、橘の兄弟が荻3にあたる。まだまだ増えそうな気がしてきた。次はどんな荻がやってくるのか楽しみにすらしている自分がいる。10人くらい集まって「助けに来たぜ!橘!」というアガる展開がぜひ見たい。

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橘は放課後自分の描いた絵を見つめている。描いた絵を頑なに読者に見せようとしない。これが後々読者を驚かせる展開につながればいいがその線は薄いように感じる。キャラクターの描いた作中作を読者に見せるときどうしてもその内面を素直に出さざるを得ないため、まず作者自身の理解度が試されることになる。これが厳しい。読者に見せないという選択肢を取ると安全だがちょっと残念な気持ちになる。見せるとなるとやはりキャラのイメージが試されることになるので合わないなと思う読者にあっさり愛想を尽かされるだろう。橘の絵が披露される日が来るのならファンの読者の期待に添える絵を見せてやってほしいものだ。

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とりあえずすごいことになっているコマが最後に登場する。橘の顔がありえないレベルにでかい。かつ走り方がおかしい。このコマはすごい!

単純に時間不足という要因だけでは擁護しきれない絵の下手さがあらわになった。隣のコマとの位置関係も微妙で、スマホでスクロールしづらいことこの上ない。いい加減に独特のコマ割りは許すのでせめてスマホの一画面に収まるように描いてほしい。普段の漫画でさえこうで先週の一枚絵でもやや大きめのサイズだったためスクショできない。見づらい。ちょっとの工夫で改善できることだ。周りの人物はどうして誰も「画面の大きさからはみ出してますよ」と玉響に教えてあげなかったんだ。

とにかく最後のコマみたいな絵は二度と描かないでほしい。気がつきさえすればデジタルで頭の大きさをいじるのくらいたいした時間はかからないのだから。

  • 話のこと

空気のありがたさを感じるような哲学的な問いかけをされた気分になった。

というのも今回の話は「何もなかった」。長い回想を挟んだので新規読者に橘の未知の病気のことを周知させてもよし。荻とヒロインとの関係性を簡単に見せるもよし。決意を見せた柊の姿を最後にワンカット挿入するもよしのなんでもできるシチュエーションだったが玉響先生は「何もしない」という高度な選択肢を選んだ。

「黄色が見えなくなった」とぼそぼそと言ってベッドで落ち込む橘やそれを心配する優しい家族(初登場)、そしてひとり落ち込む橘を描写して最後に荻を偶然発見して走り出した橘。見事なまでに橘回だったがいまいち彼女のことがわからない。色が見えるうちに絵を描いて自分を慰めようという合理的思考とやっぱつらい…というヤワい感情が混在していてさらに行き詰まったら躊躇うことなく男の子に助けてもらおうとするお姫様思考も持ち合わせている。こんなやついない。いたとして関わり合いになりたくない。

丸々橘が描写された回でありながら彼女のことを好きになれなかった。彼女自身が独特な行動をしていないからだ。その結果物語は今までにない平坦さを読者に与えた。

平坦な物語自体は本作にとって珍しいことではない。しかし何かひとつ不快であったり悪い意味で難解であったりする部分がどこかにあった。今回はそれすらなかったのだ。そのため筆者は22話が嫌いじゃない。なんか後味悪くないなというありがたみを感じた。

感想を書くために本作を読んでいるが心の準備は相応にいる作品だ。並みの覚悟では玉響世界の波に飲まれる。自分の審美眼を濁らされないために確固たる意志を持って臨むものだったが今回に限りその意気込みは必要なかった。玉響が橘に特別変な行動をとらせなかったからだ。

浅い水たまりを見るような、無風の草原を見るような白紙の状態で読み終えることができた。

さらに良い状態を望むことは前に進むために必要だが疲れたときには悪くない状態を保ち小休止を挟むことも大切。そんな教訓を学んだ。

作者はそんなこと考えてないと思うけど。

  • 終わりに

ゲームやってて投稿が遅れました。申し訳ない。

最近ジャンプ+では面白い先生のインタビューが毎日載ってるので読んでてとても楽しいです。

 

「ニュートンの蕾」23話感想 - 糊塗日記

↑つぎ

新作「ミュウツーの逆襲EVOLUTION」感想

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久しぶりに劇場で映画を鑑賞したのでその感想を書きたいと思います。新作ですのでネタバレを避けるように慎重に筆を進めます。まだ本作を見ようか迷っている人にとってこの記事が参考となれば幸いです。

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カードと硬いのもらえた。うれしい。

個人的に100点中81点くらいの映画でした。ポケモンの目がキレイだった。

  • はじめに

タイトルから分かる通り本作は「ミュウツーの逆襲」のリメイク作品です。まず大きく違う点としては本作がCG映画であること。ポケモンのゲームソフトで言えば「ルビー・サファイア」と「サン・ムーン」くらい違います。ポケモンが3DCGに移行したタイトルは「ORAS」ですからそれ以降遊び始めた子供達にとってはCGのポケモンの方がドット絵やアニメ絵より馴染みがあるでしょう。筆者は「エメラルド」からのユーザーですのでいまだにCGのポケモンには違和感を覚えます。ジェネレーションギャップです。その点を踏まえて鑑賞してください。少なくとも大人向けの作品ではないということです。

脚本と画面作り、キャラクターの三点に着目して感想を述べていきます。

  • 脚本について

タイトルをまったくひねっていないことから予想できることと思われますが脚本はやはりリメイク元の「ミュウツーの逆襲」をほぼほぼなぞったものでした。

作られた存在である自分自身に疑問を抱き父である研究者たちを焼き払ったミュウツーは自らのベースとなったミュウという幻のポケモンに興味を持ちます。その後強大な力をもって城を築き全国の優秀なポケモントレーナーを招きます。そこにはミュウの姿も。彼らオリジナルとそこから生み出したコピーどちらが強い「本物」であるかを決めるためミュウツーはこれらを戦わせます。

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切ない…。同じ姿のポケモン同士がただ肉弾戦を繰り広げる様は虚しく、見ていられません。

オマージュ部分としてはカントー地方ポケモンのみを登場させたところでしょうか。以前鑑賞した「キミに決めた!」も舞台はカントーでしたがマーシャドーを初めとしてカントー地方以外のポケモンも自然と登場させていました。本作ではキャモメがセリフに出るだけでそれ以外の登場ポケモンは初めの151匹のなかから選出されていました。招かれたトレーナーの手持ちもほぼ変わらずその点では目新しさはありません。

それに反して技関連では「エナジーボール」など新しめのものが採用されていました。個人的にはどちらかに統一してほしかった感があります。古臭いポケモンを使うなら同じく「はっぱカッター」「つるのむち」など古臭い技のみを使い、あくまで画面的にのみ新しさを追求してほしかった。アニメシリーズでカスミやタケシと冒険しているときそういった新しい技は存在しなかったわけですから「これいつの話?」と思わざるを得なかった。

そして鑑賞後それらすべてが些末と感じられるほどに大きな疑問が残りました。

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なぜミュウツーはトレーナーを集めたのか?

自ら招待状を出しながら自身で嵐を作って彼らを試し、それを超えられる強力なトレーナーを招集した理由がいまいちわからない。いくつか考えましたがそれらの可能性が脚本のアラによってことごとく潰されている気がしてならないのです。

・強力なトレーナーの強力なポケモンのコピーを生み出すため

彼らを招待する前からミュウツーは強力なポケモンを従えていたし上記のためであれば劇中で力試しをする必要はなかった。

・強力なポケモンを従える強力なトレーナーを操るため

そのそぶりすらなかった。

・強力なコピーとトレーナーを戦わせるため

そういった態度でもなかった。

・強力なトレーナーを餌にしてミュウの興味を引くため

その描写もなかった

結局ミュウツーの行動が行き当たりばったりでダサくすらあります。「なんだと?」とかどの口が言ってるのか、と。この辺は子供向けということも考慮すれば分かりやすくセリフに起こすべきだったでしょう。さらにいえば最後に至ってもミュウツー自身の「私は誰だ?」の疑問に答えが出ているかどうか、かなり怪しいです。

脚本の総評としては「結末が不確定」の一言に尽きました。リメイク元がそうであったとしても改善すべき事案でした。セリフまわしのテンポの悪さも作品を観た後のもやっとした後味に一役買っていて、どうにかできなかったのかと。

 

「めざせ!ポケモンマスター」を使ったオープニングはなかなかテンポも良くて見応えがありました。

  • 画面作りについて

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CGということもあって立体感、質感、臨場感を出すことにこだわりを感じました。特にポケモンの肌に関してはアップのシーンも多く、制作側の自信が伺えます。

なかでもリザードンの生き物感はダントツでした。首の付け根の鎖骨やリアリティを追求した羽の動き、サトシのリザードン特有の荒々しさも感じさせ得意技の「ちきゅうなげ」が見られた部分にもサービス精神が溢れていて非常に良かった。

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その他のポケモンも出来が良かっただけにやはりトレーナーたちに違和感を覚えずにいられなかった。イラストを3次元に起こすことの難解さは理解していますがやはりいまいちさがあり、アニメで見たいなと思ってしまいます。そんななか女トレーナーは全般可愛く描けていてこだわりを感じました。男トレーナーでいうと、カメックス使いのトレーナーは体格に対し首が細いのが気になりアンバランス。タケシお得意のデレデレシーンも急な表情の変化に堪えず懐かしさやおかしさがある一方絵的な不安さが伴いました。

また本作は一つのシーンをやたらと長く描写する節がありそれが全編を通して散りばめられているため、わずかなシーンごとに飽きがある辛いカメラワークになっていました。絵コンテか脚本どちらかが工夫していればもっと盛り込めるシーンもあったように思います。あれらが単純な尺稼ぎでなかったことを祈ります。

ミュウツーのCGは少し太っているように見えました。首の後ろの管のような部分や触覚っぽいところ、指や足がそれぞれわずかに太く不恰好に感じました。ただ個人的なこだわりに当たる部分ですので鑑賞の邪魔になる範囲ではありません。

演出に目をやるとエスパー能力を使う際に必ず右手を前に出すのが逆にクールさを損なわせていたように感じます。予備動作なくこちらの攻撃を防いでこそ「最強のポケモン」と豪語できるのではないでしょうか。個人的な趣味ですが棒立ちでよかった。

逆に嵐を作り出すときの演出やミュウとのぶつかり合いはCGのよさを前面に出した印象的なシーンでした。かっこよかった。

  • キャラクターについて

おもにサトシ、ミュウ、ミュウツーが印象に残ったキャラクターとなりました。

サトシは映画内でよく動き回り主人公としての役割を十全に果たしたと言えます。わけてもピカチュウに対する愛情がよくアクションに現れていて面白かった。この愛情が一種異常なまでに描かれており「ピカチュウさえよければほかはどうなってもいいサイコパスなやつ」と記憶が塗り替えられかけました。主人公はでしゃばりすぎるくらいがいいと思うので彼の動きには満足しました。ただサトシの動きが作中での基準であるような誤解を抱かせると他のトレーナーの株が相対的に下がり、視聴者としては世界観に没入しづらくなります。その点は一言登場人物に「サトシは異常だ」と呟かせ、作中の基準を少し明示してほしかった。

ミュウに関して一言で言うなら「媚びすぎ」です。可愛さを見せようとしすぎて可愛くなくなるという逆転現象が起こりました。あくまで幻のポケモンとしての神秘性を保ちつつ現象然とした態度でことに臨んでほしかったです。多くのメディアミックスのミュウはこれがうまくいっていたために魅力あり、正体不明の不気味さありのバランスを保っていました。今作ではいちポケモンとして描いてしまったためにそのバランスが崩れ好きになれませんでした。ミュウにはミュウにしかなし得ない特別な立ち位置にいてほしかったと、それだけです。たとえ今作のミュウの立ち位置が空を飛ぶピチューであっても絵的なおかしさはなかったでしょう。それほどに独特の魅力が損なわれているように感じました。ミュウには媚びないでほしい、その一点でした。

ミュウツーは結局何がしたかったのか。オリジナルであるミュウに会いたかったのかコピーポケモンを生み出して世界を蹂躙したかったのか。途中であやふやとなるテーマでしたが彼自身は自身の正体を知ることを目的としていました。「私は誰だ?」が最初のセリフでありサトシやミュウと触れ合ったことで彼自身の答えを見出しひとまず姿を消しました。これは良いのですがいまいち必然のことだったような気がしませんでした。彼が自分から動いたことといえばトレーナーを招待したことだけで、その後の顛末は挑発に乗ったり提案を受け入れたりと他の人物の口添えありきのアクションとなってしまったのが残念です。「自身を知らないこと」は「主体性がないこと」ではありません。もっと強く執拗に「自分の正体」を突き止めるために自分から動くミュウツーが見たいと思いました。よかった点は作られた存在でありながら「自分は最強である」という自負が終始一貫していたことです。その決定された強さが唯一彼を救っていたのでしょう。

  • 終わりに

¥2000の価値はあるのか?

映画館で映画を見るのにも一般料金で約2000円かかる時代となって久しいです。そこで消費者としてシートをとる前に考えるのが2000円払う価値があるのか。あくまで主観による基準なのではっきり言って他人の感想はあまり参考にならないです。

あくまで筆者の主観で言えば2000円の価値はあるように思えませんでした。感覚としては1500円くらいなら元は取れてると思います。筆者は学生料金で見たので元は取れました。

CG映画は家のテレビで見るとどうしてもしょぼく見えてしまいます。スクリーンほどの大きな画面で水しぶきやキラキラのエネルギー弾を見るのがCG映画の楽しみ方として十全のものといえるのではないでしょうか。小林幸子の歌うエンディングも映画館の音響あってこそ感動を味わえたように思います。

結局アラはあったものの楽しめたのは事実でした。ポケモンはなんだかんだ懐かしさもあってポップコーンが美味かった。

料金内訳はCG映画分¥400・エンディング¥500・リザードン¥600でそれ以上はポケモン次回作への寄付と考えれば損はないでしょう。

「ニュートンの蕾」21話感想

「ニュートンの蕾」20話感想 - 糊塗日記

↑まえ

 

集英社公式アプリ少年ジャンプ+にて毎週火曜日更新の鳩がくわえたオリーブの葉「ニュートンの蕾」第21話さざ波とアステール(5)の感想を新世界・玉響しゆに敬意を払いつつ書いていく。今週は重すぎる。

読んでいて体調を崩しかけた。この作品に金を出してる集英社は別の使い道を考えた方が賢明だ。

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読者の気持ちである

  • 絵のこと

描きやすい顔を描きやすい角度で描いているのがよく伝わってくる。それは既視感が頻繁に訪れるからだ。これによる問題は読者へのサービス精神の欠如だ。見ていて驚きとか感動を与える工夫に欠く。普通の読者であれば「読んでいてなんの得があるの?」と考え、そういう作品は読まなくなるだろう。残るのはカジュアルな読者か狂気的なアンチだけ。他作品を参考にして映える画面を作ってほしい。

今回は柊を荻が救い、長い回想が終わった。(序)含め6週にわたりお送りされた柊の過去だったが彼女がいじめられて荻が救って終わり。今後の話で松原とか木瀬は登場しないんだろうな。そう思わせる展開とキャラデザであった。

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新キャラが登場したと思ったが荻の親友の彼だった。かなり久しぶりの登場というか、顔を見せることがほぼなかった彼なのでぽっと出の相棒ポジションだと思ってしまった。名前が出てこない。

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今週のキメ顔一覧

キャラのキメ顔が多かった。キメ顔が多いと話の支点がどこにあるのかわからない。ぐっとひきつけるシーンあってこそ展開に強弱が出る。それができているだけで話がうまいと言っていい。今週は荻がいじめを阻止する内容だったから「彼女にもう近づくな」のセリフだけ大きく見せ、それ以外は淡々とキャラの表情や場所関係を表しているだけでいい。これに関してあまり多く言及することはないが絵のうまさと違って努力次第で改善できる。

この漫画がそもそも読みにくい理由を考えてみた。フルカラーの縦読み漫画が少ないので参考にする作品をよく知らないが以前ジャンプ+で連載していたコウテイペンギンの漫画は読みやすかった。まずコマ割りが単行本形式に準拠していたためだろう。実際にそのままのコマ割りで単行本も出たし縦にスワイプしながら1ページが画面に収まるようになっていたのが大きい。一般的な漫画だと東京のグールの漫画、帝一が国を築く漫画が特殊なコマ割りをしているが読みにくさは強く感じない。元ある形式をいじった表現技法におさまっているからだ。それに対して「ニュートンの蕾」のコマ割りは線で絵と絵の間を区切っているだけであり伝統的なコマ割りとは一線を画している。他の先進的な縦読み漫画でもスマホ至上の独特なコマ割りを目にするがなんとなく一定の割合で大きくコマの間を空け「1ページ」を意識させるなど読者への配慮が感じられる。本作にはそれがない。これが読みにくさに直結している。初めから読みやすさなど考慮されていない。

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次にフルカラーなのが読みにくい。色を塗っているだけなら問題ではないが非常に目の疲れる色を採用している。原色や白などの濃い色は目に刺激を与え青や緑、その他淡い色は逆に目を癒す効果があるらしい。玉響は重要でないシーンもやたらと発光させて絵を完成させるため必然的に画面が白くなり目が疲れる。髪の色は淡い色を採用することが多いが主に背景を眩しくする。そしてその背景分でお釣りがくるくらい鬱陶しい。玉響が意識して色使いを変えない限り眩しさに目がやられる問題は解決されないだろう。単純な絵の下手さもあるがそれはあくまで読みにくさには直結しない。

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アクションが下手。荻が体をひねっている間に気がついたら松原が降参していた。適度にカットを入れるでもなくねっとりじっくりとカメラを動かしているため「意図的にアクションを省いた」のではなく「アクションを描こうとして描けなかった」のがわかり、実力の天井が見えてしまったのが悲しい。荻が格闘技ができるという設定があるのは知らされていなかったがまあ新しいことに挑戦しょうとしたのはよい。そういう狙いはなくノリだけで格闘させた可能性も大いにありうるが。

  • 話のこと

先週までオラオラしてたいじめっ子たちが弱くなりすぎ。

いじめられて泣いた柊のもとに荻とその相棒が現れいじめっ子の木瀬、松原らを撃退したことを思い出した柊はなにかを決意した。

でしょうね。それ以上でもそれ以下でもない感想が浮かんだ。驚くくらいに簡単に荻が柊を助けた。この一連の流れにおかしいことが溢れすぎていて違和感の正体を一瞬煙に巻かれた。全部玉響世界の理屈に則った魔法と言ってしまえば楽なのだがそれはまごうことなき手抜きになるので真剣に今週話を考察する。まず荻がなぜ柊を助けたのか不明。これは最後まで明かされなかった。人を助けるのに理由はいらないというヒーロー理論では片付けられない。というのも彼は去り際に人を助けたことの達成感らしきものも感じていなかったし礼も拒否したように見える。これまでの本編でも人を助けることが当たり前といったような正義漢らしい一面もなく普通の高校生だった。この人物が理由なく柊を助けることにことごとく違和感を覚える。またいじめっ子を指して汚い色と評するがそれに加担した他の生徒は放置しているのだろうか。汚い色をこの世から排除するといったヴィラン理論ならむしろわかりやすいのだがそういう趣向でもなさそう。結局行動原理のわからないキャラになってしまい、そういったキャラの行動に共感はおろかわずかな感情の揺らぎも発生しないことを学んだ。こういう決定的な描写をこれまでに尋常じゃない回数不足させている玉響は漫画というコンテンツで読者を楽しませる職業に向いていない。悲しいけれどこれは断言できる。

相棒の立ち位置の彼も言動が気持ち悪いとかノリを見ていて鳥肌が立つとかいった次元を超えている。なんで生きているのかわからない。せめて彼独自の動作を見せてくれればあの絵にも血が通ったように見えなくもないだろうにその点を玉響は頑なに工夫しない。そもそも問題を抱いていないことが伝わってきた。

回想を通じて柊が決意するだけで終わったのがなんとも言えない。しかもなにを決意したのかわからないのがまた読者をイライラさせる。この茶番に付き合わされた読者にそのリターンが今後与えられることはありうるのだろうか。いやない。

  • 終わりに

重い。21話は読む前から予想できた予定調和に予定調和を重ねたミルフィーユであったため先週話までのように変な部分を笑うことすらできなかった。

また作中で荻を完全無欠の主人公にしたいなら彼以外の人物に欠陥を描かないといけない。主要登場人物がみな揃って(作者にとって)性格のいい姫・王子であるため救いようがないくらい面白くない。回を重ねれば重ねるほどなにをしたい漫画なのか霧の向こうに霞んでいく。連載中の漫画に対して不適切な希望ではあるがあと数週の間に話をたたんでほしい。偽らざる率直な感想にたどり着いてしまった。

 

「ニュートンの蕾」22話感想 - 糊塗日記

↑つぎ

「ニュートンの蕾」20話感想

「ニュートンの蕾」19話感想 - 糊塗日記

↑まえ

 

集英社公式アプリ少年ジャンプ+にて毎週火曜日更新のホラーゲーム「ニュートンの蕾」20話さざ波とアステール(4)の感想をクリエーター玉響しゆに敬意を払いつつ書いていく。ヒール役がやけに活き活きとしている。

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肘ドン

  • 絵のこと

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今回はやたらとコマの間に黒い三角が飛び散っていた。見にくいからやめればいいのに。目立ちたいのかな。20話経った現在でもこの変なコマ割りに慣れない。完全に単行本を諦めてWeb連載に特化した形なので非常に読みにくい。一コマ一コマが大きくてスクロールする指が疲れる。場面転換もうまくいっているように見えない。新しいものを作ろうとしているのかもしれないが絶対に流行らないので既存の漫画に合わせたコマ割りにシフトチェンジしていくことを期待する。

今週も柊の回想が続くのだが先週・今週・来週分合わせて1話にできそうな内容でちまちま展開を進めているのがじれったい。

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キャラクターのポーズが一辺倒で大概胸に拳を当てている。二話前くらいから見飽きるくらいに「心臓を捧げよ」のポーズをとり続けているキャラクターたちには血が通っているように思えない。年季の入った作者の漫画を見ると人物のポーズは生活感を感じさせるようなリアリティを持っていて没入感も変わってくる。その辺参考にしてほしい。ポージングのバリエーションが少ないのはまだしも同じようなポーズをなるべく避けて作品内で既視感をなるべく持たせないように工夫してほしい。

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松原だと思うのだがヒール役の左に立ったり右に立ったり忙しい。表情もよくわからないにやけ顔をしていてツインテールのいじめに加担しているのか一見わからない。

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松原の顔を反転して荻と並べたもの

今回久し振りに主人公・荻が登場するがやっぱり松原と見分けがつかない。特に松原は悪役の立ち位置にあるようなので並の手抜きでは済まされないと思うのだが…。メガネ一つでキャラの区別をつけているのならそれは甘えと言わざるを得ないだろう。

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ヒール役二人組を階段の上あたりから見下ろすシーンがあるがかなり苦しい。人物を正面から描くときにさえ頭身をコントロールできないのになぜ実力以上のことにやたら挑もうとするのか。頭がでかくて足を過剰に小さくしているから背景との合成がうまくいかずにアンバランスになっている。「今日は誰とヤッたの?」「まだお昼だけど」のセリフと表情も相まってこのシーンは笑いをこらえきれなかった。あとこの二人は柊をいじめる立場なので立ち位置は彼女より上にいる方が良かった。上にいる人間の方が直感的に優位に立っているように見えやすい。無難に柊を見下ろす形の方が画面的な印象も大きく違ってきただろう。

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セリフのひらがな・カタカタ・漢字の変換が中途半端で非常に読みにくい。またそれを口にしているキャラクターも頭が悪いように見えて仕方ない。「超腹たつ」「可愛こぶる」「チヤホヤ」あたり個人的に読みにくい。「超イラつく」「かわいこぶる」「ちやほや」とすると印象が変わって読みやすくなると思われる。ツインテールの名前が木瀬ということがわかった。

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ちょっと前まで壁だったところが廊下になったり天井が異様に高かったり髪の色が気分で変わったりするが玉響世界では日常的な風景に過ぎないので触れない。

「息苦しい…もう限界だ」が柊のモノローグなのだが学園ものじゃなかったら覚醒しててもおかしくないセリフ回しだろう。柊っぽくない。辛そうな表情描いて荻の登場につなげた方がテンポ良かったのでは。

  • 話のこと

笑わずにはいられなかった。ヒール役のツインテールのセリフが終始支離滅裂なのに作中の誰も突っ込まないので「あいまいみー」を彷彿とさせる狂気的なギャグ漫画の様相を呈していた。

ツインテールの木瀬は体育着姿の柊をあざ笑うのだが学校にいるのに体育着を着ていることに何らおかしい点がなく何をバカにしているのかわからない。それに突っ込まず木瀬に併合するクラスメートも彼女同様に感性がおかしいのだろう。次に「目立ちたかったとか?でもさすがに恥ずかしいと思うけど」と柊に言うセリフもよくわからない。これは本当によくわからないのでスルー。彼女の頭は終わっている。

たまらず教室を飛び出した柊は荻にぶつかる。これから授業でチャイムも鳴っているが廊下を平然と歩いている荻は遅刻魔に違いないだろう。急ぐそぶりもない。のちのシーンに繋げるために無理矢理登場させたのだろうが力技と言うほかない。

隠された柊の制服は先生が見つけてくれたらしい。笑わせないでくれ。先生は制服を探さない。制服を探してくれるほど献身的な先生がいたらいじめも解決してくれるだろう。話の本筋よりその先生に気が向いて集中できなくなった。

あらためて「今日は誰とヤッたの?」「まだお昼だけど」のセリフはずるい。ここだけかなり笑える。今からでも狂気的な下ネタ4コマ漫画に移行した方が需要が増えると思う。

先々週まで柊と付き合い先週は教室でサカっていた松原が木瀬と柊の会話に割り込んでくる。木瀬のことを「木瀬ちゃん」と呼んでいるあたり仲が良さそうだ。彼と仲がいいということは木瀬は松原と裏でヤッててもおかしくない。この作品の世界観ではそこまで邪推しても全然おかしくなくなってきた。また松原が柊を退屈だからフったのは本当だが木瀬のいじめに加担するのはちょっと説明不足に感じる。破綻してはいないがわざわざ退屈な女をいじめるのにこういう男が労力を割くのか疑問。ありものを詰め合わせたような脚本のアラを感じさせる。

その直後に荻が登場する。ドンという大きな音とともに登場するがどうやら肘で壁を叩いたようだ。それではまず他人を驚かせるような大きい音は鳴らないだろう。どうでもいいがポケットにかなり深く手を突っ込んでいてこのポーズも面白い。そしてこの後アクションを起こすのかと思いきやここで唐突に今週話が終わり、内容的に消化不良。結局先週の事態から少しも前進せず大した後退もせずに一話分を消費したことになる。読者をバカにしているとしか思えない。これで儲かってるなら結構羨ましいな。

  • 終わりに

荻が登場したからには柊のいじめを軽く解決して回想を締めるのだろうがそのためにやたらと話数を費やした印象。そもそも柊が荻と橘のデートを偶然発見するあたりから展開にアラがあったのでなんで彼女の回想を見せられてるのかいまだにわからない。その辺りの繋ぎと今後荻がうまく共感覚を活かしていじめの解決を見せてくれるのか非常に心配。でなければこの作品のコンセプトがやはりわからなくなってくる。「ニュートン」という言葉も作中最初の一、二話にしか使われていない。

 

「ニュートンの蕾」21話感想 - 糊塗日記

↑つぎ

「ニュートンの蕾」19話感想

「ニュートンの蕾」18話感想後編 - 糊塗日記

↑まえ

 

 集英社公式アプリ少年ジャンプ+にて毎週火曜日更新の闇「ニュートンの蕾」19話・さざ波とアステール(3)の感想を闇の支配者・玉響しゆに敬意を払いつつ書いていく。最近仮面ライダー鎧武を見始めた。おもしろい。

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←To be continued...

  • 絵のこと

序盤のまあまあの部分をコピペによるあらすじで占めるのはどうかと思う。で、先週の最後のページに描かれた波紋は単なる演出じゃなかった。すぐに雨が降るような天気じゃなかったので柊の沈んだ気持ちを表す効果だと疑わなかった。しかし急に雨が降り始めた。怖い。柊の前髪も伸びたり短くなったりと安定しない。松原がイラっとしている。柊がキスを拒んだ瞬間態度が豹変したがポージングが女々しくて不自然。ポージングのバリエーションが全体的に乏しい。大体胸のあたりに手をやって微妙な表情を正面から描いているので見飽きる。柊のカバンの紐も消えたりしていて不自然だがこの点に限って玉響世界では普通。そろそろ松原の見た目が主人公の荻と見分けつかなくなってきた。玉響が区別しようとしているかも怪しい。前作でも男子の見た目はほぼ同じだったしこだわらない部分としているのかも知れない。だとしたらキャラの見分けを完全に読者任せにしているのでマンガ家として相応しい考え方とはいえないだろう。松原が急に降る雨に対してあっさり傘を生成するあたり玉響世界の自由さを感じる。柊が下駄箱を開けるとラブレターが入っているシーンでは隅っこに4通ちまっと見える。見え方がしょぼくてシーンの意図がピンとこない。柊が胸の下にバスケットボールをやって胸をアピールしているのも下品さを演出していて不快。後ろの外野も「柊さんの体操服やべー!!」と言っているが確かにやばい。ノースリーブの体操服を着ているからである。見間違いかと思ったがそうでもない。何回見ても脇の見えるデザインをしている。狂っていると思う。忘れかけた頃に先々週のキャラクター、ツインテールが登場しているが読み直してやっと気づいたレベルに背景と同化してる。わざわざ敵っぽい演出する意味があったように思えない。このツインテールに注目してみても地道に柊の悪い噂を流すだけで贔屓目に見ても柊を落とす効果があるように見えない。最近の作品はなぜか陰湿なイジメを描写するのが流行っているがそれに反してニュートンの蕾はありきたりかつ淡々とし過ぎていて読者に気後れさせる。「え?これいじめられてるの?」と感じる。次に松原と女がいちゃついてるシーン。教室でヤッてるようにしか見えない。やばいだろ…。流石に気持ち悪くてかなわない。しかもこの女と付き合ってないらしく松原は複数の女と遊ぶ毎日を送っているらしい。本当に高校生?何を考えて、また何を参考にしてこのシーンを入れたのか…。玉響はチャラさ=ヤリチンと考えているらしい。こう言う作者の思考の浅さが見えてくるから漫画は油断できない。柊の制服が隠されて体操服のまま教室に入るわけだがモブがざわざわしている。よく見ると運動靴じゃなくて革靴を履いているし…。体操服であることがそんなに不自然だろうか?ざわざわする理由がわからない。教室で男女がはだけている方がよほど不自然だけど。玉響世界で何が気持ち悪くて何が不自然なのかがまたわからなくなった。

  • 話のこと

いじめがわからないなら描くな。

柊が松原のキスを拒むと途端に松原の機嫌が悪くなり彼女を振り、雨の中に置いていく。少し後、柊が登校すると急にモテ始める。それに嫉妬して悪い噂を流し始めるものが現れ、それとは無関係に松原は教室でサカり始めた。制服を隠された柊が体操服のまま教室に入るとモブがざわついた。

「見た目が映えるから付き合い始めた」とか「思ってたのと違う」とか松原のセリフが高校一年生らしくないのと付き合って1週間も経たない彼氏のセリフとは思えない。悪いやつだとしてももう少し時間が経ってからやっと説得力が得られるセリフだろう。いちいち悪いやつ感が薄い。説得力に欠けるのはいつものこととして場面にふさわしくないセリフを喋り続けるのはどうだろう。自然な台詞回しさえ成立していれば読むたびに疲れもしないのに。

今回の話は唐突にモテ始めたりイジメられたりの説得力のなさもありつつ反面テンポの良さも感じた。さっさと事実整理だけしちゃってやりたいことやっちゃった方が読者の精神にも健康的でいいと思う。なのでてっきり今回の話の最後に荻が現れると思っていた。「そんな私を救ってくれたのが…」といった感じでニセじゃない方の荻が登場していればまだ読めた作品なのに、ぐだぐだと中途半端なイジメを描写するもんだからテンポが悪くてしょうがない。

結局説得力がないとかテンポが悪いしか言うことがなくなってきた。進歩しない。色々な作品からセリフの受け入れやすさや画面の見やすさを学んで今週は違うな、といった成長を少しでもみたいものだ。

  • 終わりに

仮面ライダー鎧武を見ながら書いていたのだがドリアンのやつが面白い。おカマのキャラってなんでこうも面白いのか。若い俳優たちの演技も笑いを誘っていいと思う。バロンのリーダーがダントツのイケメン。かっこいいな…。

 

「ニュートンの蕾」20話感想 - 糊塗日記

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「ニュートンの蕾」18話感想後編

「ニュートンの蕾」18話感想前編 - 糊塗日記

本記事は「ニュートンの蕾」18話感想の後編にあたります。上記のリンクの記事を先に読むことをおすすめいたします。

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謎の破裂音

  • 話のこと

今回はこれが特にひどい。いや本当に。

先週の話で「放課後話がある」と教室に呼び出される柊。よくわからない表情で教室のドアを開けると松原が待っており彼女は告白された。告白に対する答えは場面転換でカットしたため唐突に付き合いだしたように見える二人。松原が手をつなごうとすると生理的嫌悪感を読者に抱かせる表情を浮かべながら柊は拒んだ。松原の誘いで週末映画を観に行く。勇気を出したらしいモノローグとともにいきなり恋人繋ぎする柊。映画を観終わり歩道橋の上で別れを告げ、去ろうとする彼女の腕を掴み松原はキスを迫った。柊は破裂音とともに松原から距離を取る。キスをされるとは思っていなかったようで、ショックを隠しきれない様子だ。つづく。

というのがあらすじになります。今週は特に絵がひどくて見るに耐えないが感想を書き終えるために我慢して読み進める。まず最初のシーンだが柊がネガティブな表情をしているらしいことから松原からの誘いを告白だと薄々感づいていたのではないだろうか。とはいえ表情の描き方があまりにお粗末でこれは推測の域を出ない。モノローグの使い方も中途半端かつ肝心な部分を捕捉していないので序盤から酸欠を起こしかねない読みづらさ。結局一コマ一コマのキャラクターが何を考えているのかわからない。登場人物に個性のないシミュレーションゲームなら問題ないだろうがさにあらず、漫画という形態をとって世に発信している以上キャラクターと共感、もしくは表情から事態を予感させるような心境の変化を見せて欲しい。

そして肝心のモノローグなのだが「『恋』とは落ちるもの」というのが作中の文。違和感がある。これだと「恋」を主格に置いているからだと思われる。「恋が落ちる」「恋は落ちる」という使い方はもちろんしない。そういう表現をしたい場合多くは「恋に落ちる」と目的格にするだろう。日本語の構成が海外留学生に馬鹿にされるレベルなのは何とかしてほしい。その後のモノローグ内の文章もやたらポエミーで不可解なため玉響世界の辞書は我々のものとは違うらしい。

フキダシ内で「男の子の隣は緊張するな。教室とはワケが違うし」とある。「ワケが違う」とは?ぴんとこない。作者はよく考えていないだろうがこのセリフを真剣に考察すると「教室では男子と女子がごっちゃになっているが集団として生活しているため緊張感とは無縁。また机で隣同士になったとしても特別な関係ではないため同様に緊張することはない」ものと思われる。この場合セリフは「ワケが違う」ではやはりぴんとこない。「緊張するな。二人だけだし」「緊張するな。教室ではこんなことないのに」とかの方が人物のセリフっぽく聞こえるだろう。

どうやら柊は放課後の教室での告白を即OKし松原と付き合うことを受け入れたようだ。またそのシーンをカットしており、途中「告白の結果はどうなったの?」という時間が読者に訪れる。このカットはまずいと思われる。冒頭からシーンを省くという演出は作品内の当然の結果を意味する効果があるため「告白をOKすること」が玉響世界では常識ですと説明したも同然ではないだろうか。そもそも松原の呼び出しだが、昨今の漫画の流行りから読者に「お、これは告白か?」と思わせておいて「違うんかーい」のギャグっぽい展開かと思った。が逆にストレートに告白という退屈さが作品の質を物語っている。

松原が柊の手を握ろうとして柊が怖がるシーンも作者の意図しない範囲から松原の不気味さと柊の表情にあざとさを感じるためキャラクターの造形として成り立たなかった。松原がもしかしていいやつじゃないのかも、と読者に予見させるのが漫画として理想的な描写になるがそういう演出に手を出すたびことごとく失敗するのが「ニュートンの蕾」である。おそらくカメラワークと間がよろしくない。不気味さを見せる表情はじっとり時間をかけて、恥じらいを描写するときはなるべく細かいコマを使い分けて表情を可愛く描くのがうまいやり口ではないだろうか。玉響はそのあたり研究不足の感がある。

週末のデートで待ち合わせから二人が隣同士に座るまでをセリフなしで淡々と進めようとするものの描き文字があるあたりもやっとする。ただこういう試みは悪くない。コマが無駄に大きいが本作で稀に見るテンポのよさが垣間見れてすこし気持ちが楽になった。例えるならずっと潜水し続けている苦しみの中、すこしだけ酸素を補給することを許されたような安らぎを感じることができた。

映画館内では松原がまた柊と手をつなごうとする。柊はこれに勇気を振り絞り答えた様子だが恋人繋ぎだ!再び水中に頭を押さえつけられるような苦しみに喘ぐ。これに対し「お」と松原がキモい表情を見せるところだけやたらとテンポがいい。またこういう嫌味な表情を描くのだけは玉響の得意とするところらしい。かと思えば柊の顔が餌を飲み込んだ直後の鯉のようで読者の笑いを誘う。もう何が幻で何が現実なのかわからないがこのあたりの表情を読み解くことが玉響世界で暮らすための登竜門になるだろう。非常に厳しい道のりになる。

さて問題のキスシーンだが玉響は前作で作中あまり登場しないキャラクター二人を扉絵で唐突に、それでいて頻繁にキスさせる暴挙に出た。その構図も大したもので大半が横からのカメラワークでありながらことごとく作画崩壊するという有様だった。今作ではファンタジー要素が省かれたのでまさかと油断していたがその隙を突かれた。自分の感覚だと最近の漫画でキスとパンチラを見なくなったように思う。単純にやり方が古臭くなったのと時代の流行り廃りからそれらが下品に感じられるようになったからだと解釈している。むしろそれらより愛情表現としてより直接的なセックスを尊いものとして描くのが今の流行りだと思っている。潮火ノ丸がラブホに行ったのには驚いた。だからといってセックスをてらいなく描く漫画が無条件に面白いとは思わないが反対にキスを愛情表現として描く漫画は古臭いなと思うようになった。本作のことである。松原が悪い人間であるように見せたいのはわかるがなにぶん描写が足りないのでこのキスシーンが柊のウブな恋愛像を打ち砕いた凄惨なシーンにはとてもじゃないが見えなかった。柊も柊でデート初日から恋人繋ぎにトライするなどアグレッシブな行動を取っておいていざキスするとなると破裂音を鳴らして逃げるようでは逆に非常識にしか見えない。松原が悪者だとして、しかし柊に非がないとは言い切れない、読者と玉響との倫理観の齟齬がこのシーンのシリアスさを著しく損なわせているのだろう。

  • 終わりに

改めて記事が前後編に分かれてしまったことをお詫びします。今回はツッコミどころがあまりに多く、文字数が自分の中の目安を大きく超えるだろうことが予想されたので半々に分けて解決させていただきました。なるべく一つの記事でまとめるのがブログ的に美しいと思うので今後はそれを目指します。また前編の記事の作成日が水曜日になってしまったため1週間ごとに更新していたルーティンが乱れて美しくない…。落ち込んでます。

ともかく今回の話はいつもの十倍は疲れました。こんなことってあるんですね。

 

「ニュートンの蕾」19話感想 - 糊塗日記

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「ニュートンの蕾」18話感想前編

集英社公式アプリ少年ジャンプ+にて毎週火曜日更新の画像データ「ニュートンの蕾」18話さざ波とアステール(2)の感想をジャンプラの秘密兵器・玉響しゆに敬意を払いつつ書いていく。新連載の「ヒナちゃんチェンジ」といい倫理観の破綻した漫画を推すジャンプ+の好戦的な姿勢が伺える。

「ニュートンの蕾」17話感想 - 糊塗日記←前です

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何度見ても不可解な立方体群

  • 絵のこと

やばい。今週は作業時間が少なかったのだろうか。かなりホラーテイストの作画となっている。1ページ目のロッカーらしきものが読者の不安を煽る。長方形を組み合わせた灰色の図形がなんか…並んでいる。なんだろうこれ。本当になんだろう。仮にロッカーだとして考察を深めるとまず柊の背を大きく超えた大きさであることがわかる。身長180cm以上の生徒専用のロッカーになってしまう。またこんなにたくさんロッカーが置いてあって何に使うのだろうか。アメリカの学校にはこういう設備があるのを映画で観るからそれを意識したものだろうか。しかしずらずらと尋常じゃない数のロッカーが節度なく設置してある。取手らしき長方形もひとつの扉に3個ずつ付いているように見える。かと思えば手前の同じ対象だろう物体は扉一つ一つの幅が狭すぎる。上履き片方入るかわからない。これは本当に何を描こうとしたのだろう。一目見て「おかしい!」と誰もが気づく背景を1ページ目に持ってくるあたりは玉響の尋常でないセンスのなせる技だろう。読者の常識と異なる背景を描くことで舞台設定をファンタジーに移行しようとしているのならわからない話ではない。油断ならない作品だ。

柊の横顔とドアノブにかける手が描かれたそれぞれ二つのコマ。読む順番がわからない。全世界共通で漫画は右から左に読むものなのに対し左のコマを少し上に設置することで読みにくさを助長している。読みにくい漫画は敬遠される。気をつければ直せる部分なので直してほしい。そのまま松原の待つ教室のドアを開ける柊。教室に入るのを躊躇する描写を表情ひとつで完結させるあたり演出力の底の浅さがわかる。テンポが悪くて個人的には好きじゃないが少女漫画的には「ドアノブに触れる→手を離して深呼吸する→覚悟を持った表情をして一息にドアを開ける」ぐらいは期待する。その次の場面。松原が顔を伏せて柊を待っている。顔が描かれていないのはいいとして肌が白すぎる。窓の外は夕方だから赤くなるならともかく白くなることはあり得ないだろう。先週はもっと健康的な肌をしていたはずだ。このコマも光の差し方がおかしい。窓は松原の後ろに描かれているが差し込む光は横向きに描かれている。かと思えば松原の影の光源は後ろのみである。何を言っているのかわからないかもしれないが見たとおりの絵を文章に起こした結果である。机が描かれているのでおおよその床の位置を推定すると松原は間違いなく浮いてる。彼は両手をフリーにしているがずっとこの状態で立っていたのだろうか。いつ来るかわからない柊をずっと?教室には松原以外いないように見える。確かに不気味な雰囲気の男子が一人いれば誰でも別の教室に行きたくなるだろう。また柊の頭と照らし合わせるとカメラの位置がおかしい。柊の頭の上から画面を映している格好だが松原がそう遠く見えないのと机が真横から描かれていることから柊が膝立ちにならないとおかしい構図になった。そうなると彼女は教室に入った瞬間膝から崩れ落ちたことになる。すこし面白い。

まだサブタイトルまで行ってないのに1000文字を超えた。

松原が「柊さん」と声をかけるコマ。柊が普通に立っているので膝立ち説は否定された。目の当たりの発光だかオーバーレイだかが強すぎる。例のごとく髪が「ふわっ」てるがどの位置の窓からも遠いのでおかしい。髪を右手で触っているがその手はついさっきドアを開けていた手だ。かなりのスピードで顔の横まで持ち上げたのだろう。手が下手。次のコマで松原の顔が正面から映され「…ずっと気になっていたんだ」と言う。目の塗りをミスっていると思われる。鼻の中心と思われる線がおかしい。手癖で描いたのだろう。口がくちばしみたいになっていておかしい。耳も随分とでかい。正面から見る限りこんな風には見えないだろう描き方。首がおかしい。下にいくにつれて細くなっているが上から見ないとこうはならない。このコマの総評としては「お前の顔の方が気になる」。

その次のコマ。松原の腕が長い。パースがおかしい。背景におかしなものが描いてある。クリップボードに貼り付けられた時間割を描いたものと思われるが実態は謎。また考えるだけ無駄である。柊の手が小さい。この大きさでは握力は5kg相当と思われる。

ここでサブタイトルが挿入される。長かった…。今さらだがナンバリングが(序)(1)(2)となっている。あまり読者を馬鹿にするな。

駅のホーム。天井が高い。電車の車輪が見えるのはおかしい。立方体でも置いておけば自動販売機に見えたかもしれない。松原と柊以外ひと一人も描写されないのは都会の駅のホームとしてはおかしいだろう。かと思えば違う角度からの画面にはモブが描かれている。あまり混乱させないでほしい。柊の顔が薄っぺらい。正面から見れば大きい顔面をしているので彼女の頭蓋骨はせんべいのような形なのだろう。驚くべき新人類だが玉響世界では珍しいことではない。その次のコマ。手のポージングが怖い。松原は水色のニットを着ているが先ほどの教室のシーンでは着ていなかった。しっかりしてほしい。柊が恥ずかしがっているシーン。やはり手が小さい。松原がキョトンとしている顔。倫理観に反した表情と思われる。これに関しては意図的なものかもしれないがそうとも限らないのが玉響という作者である。「人が沢山いるから恥ずかしいよー…」というシーンに人があまりいないのはギャグだろう。面白い。空の色がピンクっぽい。夕方とセリフに書いていたのになぜオレンジにしないのか…。漫画にイライラさせられたのは初めてだ。情けない。

「二人で映画館に行こう」とあるコマ。背景がひどいが灰色のビルは玉響世界の基本的な建築物なので慣れなければならない。

柊と松原がデートする。「おまたせー」と「むん」を描き文字にしている。むんってなに。私服が相変わらず、なんというか…嫌。ダサいとかダサくないとかじゃなく不愉快で鼻に付く服装だ。松原が明後日の方向を向きながら柊と会話している。妖精を見ているのかもしれない。柊の体のパースがめちゃくちゃだが玉響世界では基本的なことである。だがどうしても脚より長く見える腕は看過できない。どうにかしてくれ。映画館内で松原の顔色が再び悪くなった。そういうキャラだと割り切らねばならないかもしれない。柊が松原の側の手すりにだけ手を乗せているのも気になる。誘っているようにしか見えない。松原が柊の手を握るがいきなり恋人結びをする。目眩がするがこれも玉響世界の常識かもしれない。松原が喜んだような表情?をしているがひどい表情をしている。その後の空の塗り方が再び読者の不安感を煽る。雲の厚さからみて下から見上げているような状態かと思ったがカメラワーク的には横から見るような格好となった。こんな空は世紀末でしかあり得ないだろう。ニュートンの蕾は地球の自転軸が揺らぎ、それに伴った災害の後生き残った人類たちのノスタルジーな世界を描いているのかもしれない。だとしたらやたら灰色な建築物にも納得がいく。都市の復興までのスピードを速めるため余計な装飾を省いたのだろう。ピンク色の不思議な空もポールシフト後の異常気象と考えればつじつまが合う。ヒロイン・橘の未知の病気、褪色病もそれに伴った突然変異かもしれない。スケールが思いの外大きくなった。

この後松原が強引なキスを柊に迫るが1コマ前に汗をかいているのがいかにも恐ろしい。彼はデート後はキスして当然と考えていたのだろうか。玉響お得意のキス顔が炸裂する。高校生が主な登場人物だったので油断していたが18話にして我慢ならなかったようだ。玉響は前作で唐突にキャラクター同士をキスさせるなどの暴挙に出た前科がある。覚悟の準備ができていなかった。本当に驚いた。怖い。その後柊が破裂音とともに松原から距離を取る。最後に渾身の立ち絵を披露して今週の分はやっと終わり。唐突に雨が降ったように足元に波紋が描かれる。演出がいちいちわかりづらい。読者を混乱させることにてらいがないのが玉響の恐ろしいところである。

  • つづきます

更新が日を跨いでしまったことと前後編に分かれてしまったことをお詫び申し上げます。前後編に分けるのはこのままのペースだと文字数が一万近くなると思われるからです。いつも書いている「話のこと」の感想は来週までに更新したいと思っています。

後編です↓

「ニュートンの蕾」18話感想後編 - 糊塗日記