糊塗日記

不定期更新。学生です。

幸福の科学の映画「世界から希望が消えたなら。」感想

監督・赤羽博、脚本・大川咲也加による幸福の科学製作の映画「世界から希望が消えたなら。」鑑賞しましたので感想を書いていく。

つまらないだけなら救いがあった。

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筆者は幸福の科学会員である。二世会員であるため物心ついたときから正心法語を読み家には大川隆法の写真があった。友達が家に来ることもなかったのでこれを変に思ったこともなかった。しかしこの映画を観て初めてと言っていい。当会の教義を疑った。それは脚本製作以前の段階から総裁が直々に降ろしたキリストの霊にアドバイスを求めたりまた完成後の作品を観て総裁が「最高傑作」と口にしたという前段階の情報を耳にしていたからかもしれない。

当会がつまらない映画を作り会員がチケットを買って日に4回など狂ったようにそれを観続けるのは定期的に起こるイベントみたいなもので普通の出来事だが今回の映画を何回も観るのは並の神経を持つ者には本当に苦痛だろう。観賞後には三半規管が壊れていてもおかしくない。

脚本なのだが総裁の娘・大川咲也加が筆を取り先述の通りキリストの霊に助言を受けながら書いた。そのせいあってか彼女自身の家庭事情、つまり総裁の家庭事情がリアルに即して詳しく反映されていた。信者間でも有名なエピソードが頻出し信者は古参であるほどより楽しめた作品だろう。総裁の心臓が止まっているのに総裁は死ななかった。というのもそのひとつであり劇中では「おかしい」「奇跡」としつこいぐらい繰り返していて主人公の神格を高めようとしていた。

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脚本のおかしい部分としてまず登場人物の性格にことごとく難があること。主人公の御祖真から語ると彼は水分で肥大化した心臓を自力で治すと豪語し医師の勧める手術も拒んだ。このシーンがなかなか納得いかない。病院では医師の言うことに基本的に従って欲しいし真っ向から反発する患者は病院的には邪魔者だろう。心臓が治った際も「私の精神力が最先端医療に勝りましたね」と要らないことを口にしたり読書していたことをわざわざ見舞いに来た家族に報告したりと客観的に見て自己顕示欲の強い人物に見えて仕方なかった。メッセージとして視聴者に伝えたかったならやり方が下手。主人公であり実在する総裁をモデルとした主人公なのだからもっと自然と聖人君子な振る舞いを見せて欲しかった。社会的にわがままであったり他人に共感できないような主人公の姿が見たいわけではなかった。

前作からやたらと英語で喋るシーンを強調する当会だがどの方面に向けてのアピールなのか。頭のよさを自慢したいだけのシーンにしかみえなかった。

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次にこの映画の悪役的な立ち位置にあり御祖真の妻である磯子。彼女は医者の言うことは絶対であるとし父親の回復を願う自分の子供に「回復を願うな。彼はもう死んでいる!医者もそう言っている!」と支離滅裂なことを言い出す。そのせいで作中では「悪魔よ立ち去れ」と言われてしまう始末。事情がなくはないとはいえすこしかわいそうである。終始夫の真に反発する役回りであったが真の行動がいつも唐突で脈絡ないため逆にこの磯子の方が社会的にはまともなことを口にしているシーンも多々あり難解な台詞回しとなっていた。なお真は作中常に正しい存在であるため磯子が肯定されたり救われることはなかった。この磯子という女性にも実際にモデルがいる。総裁の前妻であるK子である。昔は彼女の描いた絵本を子供に読み聞かせていたオバさんもいまでは彼女のことを悪魔だとみなしており名前を出すと少々うるさくなる人もいるのでK子と表記した。K子も1人の人間であり作中では台詞の根拠を視聴者に共有するための工夫をしてもよかったと思う。いくら悪魔とて映画に出演させてめったうちにすることが当会の教義に反していないとは思わない。彼女にも事情があるということをもっと強調し話の流れに起伏を持たせて欲しかった。

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真と磯子の子供たちである英一・玉美・鶴男の3人は幸福の科学のARI productionに所属する子役が演じており努力が見られた。ただ脚本の都合上唐突に宗教的な発言や勝手なことを言い出す節があり人間味に欠ける。言いつけを破ったり突然逃避行したりといった自分勝手な行動で場をかき乱すぐらいの事はしてもよかったと思う。それくらいに場面の動きに乏しい作品だった。子役の演技に関してはほぼ文句なし。正直うまいかへたかもわからないのだが。兄弟の関係性については脚本担当の大川咲也加本人のことであるから特にリアリティがあった。奔放な長男、しっかり者の長女、勉強漬けの弟というのは実際の大川家の兄弟に当てはまるものなのだろう。実際の家族に興味のある方は適当なまとめサイトでもご覧になってください。とまれ映画作品としてはやたらとリアルな関係を持ち出されてもあくまで他人事だし興味もないため鬱陶しくもあった。この兄弟を描写している時間が脚本の全体的な完成度を下げていると言ってしまっていいだろう。

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あと千眼美子も役を演じている。総裁の秘書役で磯子が去った後は総裁と結婚すると思われる。真の数少ない理解者という立ち位置だがその動機は不明。

場面的にも惜しい部分は基本画面に2人以上映っていたこと。会話は人間として普通の行動であり都合の悪い事はよく口から出任せでその場しのぎしてしまうこともある。反面独り言で嘘をつく事はない。1人でいるときに口にする事は間違いなくその人物の心の中の真実である。映像作品における会話のなかで格言が生まれる事は少ない。大抵作品公開終了後も印象に残っている言葉は登場人物が1人でいるときに発した言葉だ。いつも2人以上で会話しているこの作品では真が本当のことを言っている感じが薄く視聴者は彼のことを信頼できない。このモヤモヤ感が最後まで解消される事はなかった。

筆者が鑑賞中怒りを覚えたのは真の行動や言動に対してだ。彼は冒頭の入院中に自分の子供たちを蔑ろにしていたことを反省しひどい父親だったことを自覚することになる。そしてこれからは子供のことを放任しないよい父親になることを決意する。ここまではいい。しかし終盤になって物語の転機となるのは次男の鶴男がいじめられているのに真が仕事で家にいないという事態だった。これは擁護できない。さらに彼はこのとき「君たちに接する事はできなかったが君たちのことを愛しているんだよ」と発言しこれによってすべての問題が解決してしまった。ギャーギャーと喚いた磯子は家を出、美人の秘書が残る展開に。いくらなんでも説明不足。御祖真の人生イージーモードかよ。一番の問題はこれがほぼ現実に即していることだけれど。

離婚するにあたり子供が父親か母親どちらについていくかは重要だ。作中で「仕事を自分たちよりも優先させとりあえず愛していると発言する父」を「キツい当たり方をするもののいつも家にいて仕事で海外に飛ぶ父を必死に止めようとした母」より優先させた子供の気持ちはわからなかった。最後あたりで玉美も口にしていた「父の教えを家族としてでなく1人の人間として信じ、ついて行けるか、ということね」という発言は人間味に欠け、そして子供という立場に対しあまりに酷だろう。控えめに言って御祖真は親失格だと思う。子供を作るべき人格者ではなかった。

初めから最後まで共感に欠ける作品であり家族という問答無用の血縁関係を軽視し家族<信仰の構図を立てたこの映画を嫌いになった。信者のお金を使ってこんな映画を作るのはもうやめろ。