「ニュートンの蕾」25話感想
↑まえ
集英社公式アプリ少年ジャンプ+にて毎週火曜日更新の鳥獣戯画「ニュートンの蕾」25話作戦会議の感想を作者・玉響しゆに敬意を払いつつ書いていく。もうすぐ最終回か。
もうこういうノリで笑うの小学生の女子くらいだろう
- 絵のこと
橘の前髪が伸びに伸びた。1話目時点とはほぼ別キャラですが大丈夫ですか。
今回は登場人物が荻、榊、橘の3人に収まっていてよかった。人数が少なければ台詞回しに違和感も少ない。荻に似てるキャラはたくさんいるがそれとも紛らわしくないのでストレスも少なかった。
は?
ギャグっぽいパートもあってまあまあという印象だったがコメディっぽいデフォルメをシリアスなシーンでも多用する本作では緊張感とか空気感に起伏がなくて画面から伝わる感じがいつもまったく変わらない。よって今回のギャグシーンもどういうシーンだったのかよくわからなかった。笑いどころのわからない芸人のネタと同じで背筋が寒くなる。
なんか画面がスカスカだなと感じた。背景とか小物を極力排除する描き方をしている。今回に限った話じゃないけど描きやすい人物をカメラの中心に構えて吹き出しをつけているコマばかりことごとく並んでいるので場面転換に緩急がなく目が滑る。
人物ばかり見せるなら表情の機微を見せてほしいのだがその点未熟で、手慣れた顔しか描かないので好きになれない。
落ちそう
画面が横向きになってる演出はなんだろう。特になんでもないシーンでこういう画面を使うのでやっぱり思いつきでコマ割りしているとしか思えない。大ゴマとか決めシーンを大きく見せる「溜め」のシーンが欲しい。
- 話のこと
まずこの3人が屋上で一緒にご飯を食べていることに違和感を覚える。いきなりどうした。自然に場面をつないでもらわなくては困る。
弁当に卵焼きを入れるお母さんが鬼畜すぎる。娘の架空の病気・褪色病とそれによって失われた黄色のことを知りながらあえて卵焼きを使う母の精神を疑う。橘が母に気にしない旨を伝えたのなら話の中でそれを見せないとダメだろう。本当にそこらへんの気遣いが足りない。
携帯のケースをひよこから変えてないことを「よかった」と言う荻もなかなか鬼畜。また意味がわからない。なにがよかったのか。こういうちょっとした突っかかりが気になる台詞回しである。
もうキャラクターの倫理観がめちゃくちゃでそればかり気になる。作者の考える気遣いが読者にとって気遣いでなくことごとく共感できる態度から外している。玉響の意図したシーンのようにならないまま完結する。もうこの作品が好きな読者でも擁護の仕方がないこともコメント欄から伝わってくる。
荻の共感覚でモノローグが進んだのはよかったと思う。思い出したような感じだがこの共感覚から始まった漫画だからなこれは。ただ「色を感じない」→「透明感が強い」の日本語の使い方はおかしいと感じた。「透明な感が強い」ならまだわからなくもないけれどもう額面通りに言葉を使うのをやめたらどうか。漫画の読者は文学家でもないくせに日本語に厳しい奴が多いから台詞回しがおかしいと嫌われる。筆者もその一人であるためこの日本語の使い方はすごく気になる。やめてほしい。日本語がおかしいのはtwitterだけにしてくれ。頼む。
荻と榊が橘と過ごす夏休みを計画しているがファミレスでだべっているだけで画面が退屈。退屈で死にそう。
話もよく練ってないだろ。時間をかけない作品には読者も誰も時間を割かないわ。
- 終わりに
もういつ最終回を迎えてもおかしくないと思う。この作品は読者をなめている。
↓つぎ