糊塗日記

不定期更新。学生です。

幸福の科学の映画「世界から希望が消えたなら。」感想

監督・赤羽博、脚本・大川咲也加による幸福の科学製作の映画「世界から希望が消えたなら。」鑑賞しましたので感想を書いていく。

つまらないだけなら救いがあった。

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筆者は幸福の科学会員である。二世会員であるため物心ついたときから正心法語を読み家には大川隆法の写真があった。友達が家に来ることもなかったのでこれを変に思ったこともなかった。しかしこの映画を観て初めてと言っていい。当会の教義を疑った。それは脚本製作以前の段階から総裁が直々に降ろしたキリストの霊にアドバイスを求めたりまた完成後の作品を観て総裁が「最高傑作」と口にしたという前段階の情報を耳にしていたからかもしれない。

当会がつまらない映画を作り会員がチケットを買って日に4回など狂ったようにそれを観続けるのは定期的に起こるイベントみたいなもので普通の出来事だが今回の映画を何回も観るのは並の神経を持つ者には本当に苦痛だろう。観賞後には三半規管が壊れていてもおかしくない。

脚本なのだが総裁の娘・大川咲也加が筆を取り先述の通りキリストの霊に助言を受けながら書いた。そのせいあってか彼女自身の家庭事情、つまり総裁の家庭事情がリアルに即して詳しく反映されていた。信者間でも有名なエピソードが頻出し信者は古参であるほどより楽しめた作品だろう。総裁の心臓が止まっているのに総裁は死ななかった。というのもそのひとつであり劇中では「おかしい」「奇跡」としつこいぐらい繰り返していて主人公の神格を高めようとしていた。

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脚本のおかしい部分としてまず登場人物の性格にことごとく難があること。主人公の御祖真から語ると彼は水分で肥大化した心臓を自力で治すと豪語し医師の勧める手術も拒んだ。このシーンがなかなか納得いかない。病院では医師の言うことに基本的に従って欲しいし真っ向から反発する患者は病院的には邪魔者だろう。心臓が治った際も「私の精神力が最先端医療に勝りましたね」と要らないことを口にしたり読書していたことをわざわざ見舞いに来た家族に報告したりと客観的に見て自己顕示欲の強い人物に見えて仕方なかった。メッセージとして視聴者に伝えたかったならやり方が下手。主人公であり実在する総裁をモデルとした主人公なのだからもっと自然と聖人君子な振る舞いを見せて欲しかった。社会的にわがままであったり他人に共感できないような主人公の姿が見たいわけではなかった。

前作からやたらと英語で喋るシーンを強調する当会だがどの方面に向けてのアピールなのか。頭のよさを自慢したいだけのシーンにしかみえなかった。

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次にこの映画の悪役的な立ち位置にあり御祖真の妻である磯子。彼女は医者の言うことは絶対であるとし父親の回復を願う自分の子供に「回復を願うな。彼はもう死んでいる!医者もそう言っている!」と支離滅裂なことを言い出す。そのせいで作中では「悪魔よ立ち去れ」と言われてしまう始末。事情がなくはないとはいえすこしかわいそうである。終始夫の真に反発する役回りであったが真の行動がいつも唐突で脈絡ないため逆にこの磯子の方が社会的にはまともなことを口にしているシーンも多々あり難解な台詞回しとなっていた。なお真は作中常に正しい存在であるため磯子が肯定されたり救われることはなかった。この磯子という女性にも実際にモデルがいる。総裁の前妻であるK子である。昔は彼女の描いた絵本を子供に読み聞かせていたオバさんもいまでは彼女のことを悪魔だとみなしており名前を出すと少々うるさくなる人もいるのでK子と表記した。K子も1人の人間であり作中では台詞の根拠を視聴者に共有するための工夫をしてもよかったと思う。いくら悪魔とて映画に出演させてめったうちにすることが当会の教義に反していないとは思わない。彼女にも事情があるということをもっと強調し話の流れに起伏を持たせて欲しかった。

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真と磯子の子供たちである英一・玉美・鶴男の3人は幸福の科学のARI productionに所属する子役が演じており努力が見られた。ただ脚本の都合上唐突に宗教的な発言や勝手なことを言い出す節があり人間味に欠ける。言いつけを破ったり突然逃避行したりといった自分勝手な行動で場をかき乱すぐらいの事はしてもよかったと思う。それくらいに場面の動きに乏しい作品だった。子役の演技に関してはほぼ文句なし。正直うまいかへたかもわからないのだが。兄弟の関係性については脚本担当の大川咲也加本人のことであるから特にリアリティがあった。奔放な長男、しっかり者の長女、勉強漬けの弟というのは実際の大川家の兄弟に当てはまるものなのだろう。実際の家族に興味のある方は適当なまとめサイトでもご覧になってください。とまれ映画作品としてはやたらとリアルな関係を持ち出されてもあくまで他人事だし興味もないため鬱陶しくもあった。この兄弟を描写している時間が脚本の全体的な完成度を下げていると言ってしまっていいだろう。

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あと千眼美子も役を演じている。総裁の秘書役で磯子が去った後は総裁と結婚すると思われる。真の数少ない理解者という立ち位置だがその動機は不明。

場面的にも惜しい部分は基本画面に2人以上映っていたこと。会話は人間として普通の行動であり都合の悪い事はよく口から出任せでその場しのぎしてしまうこともある。反面独り言で嘘をつく事はない。1人でいるときに口にする事は間違いなくその人物の心の中の真実である。映像作品における会話のなかで格言が生まれる事は少ない。大抵作品公開終了後も印象に残っている言葉は登場人物が1人でいるときに発した言葉だ。いつも2人以上で会話しているこの作品では真が本当のことを言っている感じが薄く視聴者は彼のことを信頼できない。このモヤモヤ感が最後まで解消される事はなかった。

筆者が鑑賞中怒りを覚えたのは真の行動や言動に対してだ。彼は冒頭の入院中に自分の子供たちを蔑ろにしていたことを反省しひどい父親だったことを自覚することになる。そしてこれからは子供のことを放任しないよい父親になることを決意する。ここまではいい。しかし終盤になって物語の転機となるのは次男の鶴男がいじめられているのに真が仕事で家にいないという事態だった。これは擁護できない。さらに彼はこのとき「君たちに接する事はできなかったが君たちのことを愛しているんだよ」と発言しこれによってすべての問題が解決してしまった。ギャーギャーと喚いた磯子は家を出、美人の秘書が残る展開に。いくらなんでも説明不足。御祖真の人生イージーモードかよ。一番の問題はこれがほぼ現実に即していることだけれど。

離婚するにあたり子供が父親か母親どちらについていくかは重要だ。作中で「仕事を自分たちよりも優先させとりあえず愛していると発言する父」を「キツい当たり方をするもののいつも家にいて仕事で海外に飛ぶ父を必死に止めようとした母」より優先させた子供の気持ちはわからなかった。最後あたりで玉美も口にしていた「父の教えを家族としてでなく1人の人間として信じ、ついて行けるか、ということね」という発言は人間味に欠け、そして子供という立場に対しあまりに酷だろう。控えめに言って御祖真は親失格だと思う。子供を作るべき人格者ではなかった。

初めから最後まで共感に欠ける作品であり家族という問答無用の血縁関係を軽視し家族<信仰の構図を立てたこの映画を嫌いになった。信者のお金を使ってこんな映画を作るのはもうやめろ。

【最終回】「ニュートンの蕾」29,30話感想

「ニュートンの蕾」26,27,28話感想 - 糊塗日記

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やばい。終わってた

  • 29話感想

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まず冒頭の花火。おそらく水面に映った花火を描いているため下に向かって飛ぶ花火が見せられる。わかりにくい。そして横向きに生える4人の表情。縦読みマンガでこの描き方はギャグっぽく見えるしやめたほうがいいと思う。もうちょっとやり方があるだろう。

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花火で互いの声が聞こえない→顔が近づく→キス未遂のシーン

正直悪くない。顔があまりに近づきすぎだと思うが演出で少し考えたあとが見えていい。ただそのあと荻が橘の恥ずかしがる表情を共感覚で「赤色」とするのはどうなのかな。この作者は終始共感覚を超能力的なものとして捉えてた節がある。それがそもそもピンとこない。橘が恥ずかしがるのは共感覚なしでも火を見るより明らかやろがい。

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橘が花火が見づらいということで荻お得意の花火がよく見える場所に案内する。べたべたすぎる。それになぜ最初からこの場所に連れてこなかったのか謎は残る。

どうやら「橘が絵を描く場所を探していたら荻が寝ていた場所」らしい。そんなシーンあったっけ。ないと思う。覚えてない。

ここから共感覚について作者の捉え方と読者の捉え方の剥離が大きくなっていくが落ち着いて読まなければならない。

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共感覚のある世界が大変だったとか辛かったとかいまいちわからない。生まれたときからある超能力でもない感覚なのだから苦しいや辛いとは無縁の概念だと思うのだが違うだろうか。ストーリー中に共感覚が原因で辛い目にあったことすらないのに橘の「頑張ったね」の言葉が心に沁みる荻ってそれこそ読者は共感できない。

それに荻の言では橘以外の人間の言葉は心に響かないみたいな印象がある。なぜ彼女だけなのか。作中で触れないわりに繰り返し「彼女だから」「彼女だから」と演出しまくってて売れない商品の広告を見ている気分だった。だから根拠も理屈もないのに好きも嫌いも生まれないんだって。

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橘のことを共感覚で覗くと「虹色」らしい。なんだそれは。

最終話に続く。

  • 30話

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虹色の意味が当然わからない橘(当たり前。誰に伝わるんだ)は荻に質問を返すがそれに対し「なんで虹色だと思う?」とさらに返す荻。有名なマンガなら「おっと会話の成り立たないアホが1人登場〜〜〜〜」とばかりに煽られても文句は言えない。実際会話が成り立っているようには思えない。

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次の瞬間に「難しい。わからない」と答える橘もいかがなものか。わからないなりに答えを出すとかすこしは考えるそぶりを見せるとかわずかにでも知恵を絞ろうとする動作を見せて欲しいものだ。すぐにわからないと答えるのはもしかしたら作者の姿勢そのものかもしれない。考えろ。お前以外の人間はみんな考えながら生きている。

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虹色の解説をする荻だが要約すると「感情それぞれがすごく鮮やかに見える」とのことだった。まじか。

それは橘でなければいけないのかい?がここにきて最高潮に至る。感情の振り幅が大きい女の子が橘以外にいない世界だったらしい。ならしょうがない。

感情を隠そうとしない。それがすごく清々しいと荻。だからそれは橘固有の特徴とはいえないと思う。また感情を隠さない女の子に対してドキドキしたりするだろうか。しないと思う。嘘をついているかすら完璧に見切れるであろうから。これまでの話との辻褄が合うかどうかが気になりすぎて2人の話が頭に入ってこない。これが最終回の高まりか…!

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橘が褪色病について、そして荻が共感覚について独白しはじめる。改めて彼女の「黄緑と黄色が見えない」というセリフ。すこし笑える。黄色が消える前は黄色と緑色が見えたのに黄緑色は見えなかったんだ。

最後まで褪色病を活かした話がなかったな。途中ひよこをモチーフにしたキャラクターを出して感動的な話にしようとしたがそういう小物の出し方が色が見えなくなるのと順序が整いすぎてて作者の顔が見えてしまってダメだった。どうしても没入できない。

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もし共感覚がなくなったらを真剣に語る荻もすこし怖い。髪の毛の質がある日突然変わるか?運動神経が突然悪くなるか?音の感じ方が突然変わるか?荻の語る共感覚がなくなるとはそういうことであり彼の語る言葉に重みがない。自分の体質であることをまだ理解していないようだ。再三言うがやはり共感覚に辛いも苦しいもないと思う。

話を聞いてなくてわからなかったがどうやら荻は橘に救われたらしい。よかったな。一から百まで話がつながっているように思えず聞いている方の橘もなにがどうなったかわからないが泣く流れだったので泣いたのだろう。まあ本人がよければいいよ。

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最後に橘が荻の手を握ろうとしてやっぱ内緒と言って2人で歩いて終わり。

内緒て。感情隠さないんだろ。そこが澄んだ空気のようで心が洗われるとか言ってたじゃんお前。なにやれやれみたいな表情してるんだ。

  • 終わりに

ニュートンの蕾

終わってくれたことに

ありがとう

ありがとう

「ニュートンの蕾」26,27,28話感想

「ニュートンの蕾」25話感想 - 糊塗日記

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集英社公式アプリ少年ジャンプ+にて毎週火曜日更新のアレ「ニュートンの蕾」26,27,28話の感想を作者・玉響しゆに敬意を払いつつ書いていく。毎回同じような内容の感想を書くことに飽きてすこし休んでました。すみません。

  • 26話「MaTsuRi」

荻とその親友(名前忘れた)が相談している。橘を誘って夏祭りに参加し告白するための作戦会議だ。そこに偶然にも橘登場。彼女の意見で柊も祭りに同行することに。女子二人の着物姿も披露してさあ祭りへ。(あらすじ)

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荻の平々凡々なキャラクターがどんどん加速していく。橘への告白をどうやら祭り開催中にしたいようだがそれを親友に提案されて実行するようならわざわざやらなくていい。告白という一大イベントを描写するんだったらきっかけは自分から発言しないとダメな気がする。早くもラストへの不信感を抱きながら作品を読み進めることになる。そもそも荻が橘に想いを寄せていることすら初耳。内的描写が全体的に欠けているせいで簡単な人間関係も把握できない。橘を好きだとしてそのきっかけはどこにあったのか。たとえ過去話を見返しても見つけられる自信がない。

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偶然橘が遭遇するのもよくない。玉響はとことん登場人物を自分から動かそうとしない。そのせいで緊迫感が生まれないしリアリティも遠のく。必要なものをすべて与えられて育った人間の描くストーリーライン。呆れる。

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浴衣?着物?を橘と柊が披露する。この作者のことなので着付けや構造が気になり自分でその辺を検索した。いまでは着物と浴衣のきっちりした境界線もなくどちらとはっきり分類はできないが「帯締めがあること」「足袋を履いているように見えること」から二人が来ているのは浴衣ではなく着物と見られる。柄が一模様なのでいわゆる着物の普段着とされる小紋だろう。この話の前半で橘が「浴衣買わなきゃ」と言っているがまあいいだろう。間違えて買ったのかもしれない。とりあえず祭りに着ていくものとしては間違いがないようだ。詳しい人が見ればおかしな点があるかもしれないがぱっと見不自然な部分はない。ただでかい乳を帯の上に乗っけるように着ているのは下品に見えた。それを解消する着方もあるようだが玉響はそこまでは調べていなかったようだ。

つまらない。山も谷もない退屈な話。時間の無駄としか思えない26話。

  • 27話「それぞれの矢印」

4人で歩いて柊がつまづいた。(あらすじ)

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冒頭で親友と橘、荻と柊が会話しているが荻の「でさー」と指差している状態が不自然で怖い。よく考えて描いてないんだろうな。またこのデートは親友が荻と橘をくっつけようとしてまず提案したものであるのに親友が真っ先に橘と会話しているようではどうにも気が利かない。さっさと柊を連れて帰れ。

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急にどうした

途中で親友が「あいつ」がどうとか言い出したがちゃんちゃらおかしい。お前の過去に誰も興味がないのにスカスカのしたり顔を晒すな。今後の話の展開につなげるな。「あいつ」とはこれからも連絡をとるな。どうせ巨乳の女だろ。

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いくつかのどうでもいい会話を挟んで柊がつまづき荻の袖を掴む。どうみてもバランスを崩した人間のポーズではなかったが荻が気を利かせて心配するような言葉をかけた。頼むから荻は橘を攻略するのか柊を攻略するのかはっきりしてくれ。読みにくい。柊が荻の優しい言葉に発情する。しかしその言葉は誰でもかけられるような言葉であり荻特有の言葉ではない。どうも柊は勘違い女である感が否めない。荻を好いているのだってどれくらいの根拠があるのかわかったものではない。読者としては他の誰でもなく主人公が好きである理由を示してほしいものだが現時点でそれがない。いじめから救ってくれたのなら親友のことも同様に好きにならないとおかしくはないだろうか。たとえば荻のかける言葉が彼の共感覚によるセリフであったらと考える。「柊。色が揺らいでるがどうした?」などのセリフでもあれば信憑性はともかくとしてキャラクターの強度は上がると思うのだが。期待するだけ無駄か。

いまだにこの作品がなにを目指しているのかわからない。感情の起伏に根拠が存在しないからである。風に踊るビニール袋を眺めるような気分を味わえる27話。

  • 28話「線香花火」

柊と荻が正面合わせで立ちながら過去編のおさらいをする。(あらすじ)

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もう柊が主人公でいいのではないか。

彼女は自分から行動するし理由はないけど性格はいい。ひとまず荻と柊のストーリーラインが終わったように感じる。

今回はちょっと面白かった。登場人物が二人だけであれば大したミスは犯さないらしい。まあセリフの内容はよく意味がわからなかったけれど雰囲気は伝わった。

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簡単に言えば柊が荻の好きな人は自分でなく橘であることを察し身を引く、なのだがこの女やけにあっさりしている。

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は?

また二人が話している間親友と橘がどっか行ってるのは玉響の都合によるものなのか。こういう動き方をするたびに親友の最初の提案が薄れていくのだが。

主要な登場人物は作者の意向によりみな聖人君子であることが決定しているのだが彼ら彼女らは17歳であるため現代を舞台としているわりにリアリティな話とはほど遠い。そのため共感する場面もなく体系的には神話に近い。

でも振り返ってみると柊はその中でもわりに人間っぽい動きをしているかもしれない。

細かい部分に目を瞑れば概ね良作を真似たようなシーンしかなかったため今回の話はあまり語ることがない。これで最終回ならなお良かった。

これからも登場人物を2人に絞る手法を玉響先生には期待する。

  • 終わりに

最新話までの感想は以上。

最近バイオハザードを見た。思いの外面白かった。あとエロかった。

「ニュートンの蕾」25話感想

「ニュートンの蕾」24話感想 - 糊塗日記

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集英社公式アプリ少年ジャンプ+にて毎週火曜日更新の鳥獣戯画ニュートンの蕾」25話作戦会議の感想を作者・玉響しゆに敬意を払いつつ書いていく。もうすぐ最終回か。

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もうこういうノリで笑うの小学生の女子くらいだろう

  • 絵のこと

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橘の前髪が伸びに伸びた。1話目時点とはほぼ別キャラですが大丈夫ですか。

今回は登場人物が荻、榊、橘の3人に収まっていてよかった。人数が少なければ台詞回しに違和感も少ない。荻に似てるキャラはたくさんいるがそれとも紛らわしくないのでストレスも少なかった。

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は?

ギャグっぽいパートもあってまあまあという印象だったがコメディっぽいデフォルメをシリアスなシーンでも多用する本作では緊張感とか空気感に起伏がなくて画面から伝わる感じがいつもまったく変わらない。よって今回のギャグシーンもどういうシーンだったのかよくわからなかった。笑いどころのわからない芸人のネタと同じで背筋が寒くなる。

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なんか画面がスカスカだなと感じた。背景とか小物を極力排除する描き方をしている。今回に限った話じゃないけど描きやすい人物をカメラの中心に構えて吹き出しをつけているコマばかりことごとく並んでいるので場面転換に緩急がなく目が滑る。

人物ばかり見せるなら表情の機微を見せてほしいのだがその点未熟で、手慣れた顔しか描かないので好きになれない。

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落ちそう

画面が横向きになってる演出はなんだろう。特になんでもないシーンでこういう画面を使うのでやっぱり思いつきでコマ割りしているとしか思えない。大ゴマとか決めシーンを大きく見せる「溜め」のシーンが欲しい。

  • 話のこと

まずこの3人が屋上で一緒にご飯を食べていることに違和感を覚える。いきなりどうした。自然に場面をつないでもらわなくては困る。

弁当に卵焼きを入れるお母さんが鬼畜すぎる。娘の架空の病気・褪色病とそれによって失われた黄色のことを知りながらあえて卵焼きを使う母の精神を疑う。橘が母に気にしない旨を伝えたのなら話の中でそれを見せないとダメだろう。本当にそこらへんの気遣いが足りない。

携帯のケースをひよこから変えてないことを「よかった」と言う荻もなかなか鬼畜。また意味がわからない。なにがよかったのか。こういうちょっとした突っかかりが気になる台詞回しである。

もうキャラクターの倫理観がめちゃくちゃでそればかり気になる。作者の考える気遣いが読者にとって気遣いでなくことごとく共感できる態度から外している。玉響の意図したシーンのようにならないまま完結する。もうこの作品が好きな読者でも擁護の仕方がないこともコメント欄から伝わってくる。

荻の共感覚でモノローグが進んだのはよかったと思う。思い出したような感じだがこの共感覚から始まった漫画だからなこれは。ただ「色を感じない」→「透明感が強い」の日本語の使い方はおかしいと感じた。「透明な感が強い」ならまだわからなくもないけれどもう額面通りに言葉を使うのをやめたらどうか。漫画の読者は文学家でもないくせに日本語に厳しい奴が多いから台詞回しがおかしいと嫌われる。筆者もその一人であるためこの日本語の使い方はすごく気になる。やめてほしい。日本語がおかしいのはtwitterだけにしてくれ。頼む。

荻と榊が橘と過ごす夏休みを計画しているがファミレスでだべっているだけで画面が退屈。退屈で死にそう。

話もよく練ってないだろ。時間をかけない作品には読者も誰も時間を割かないわ。

  • 終わりに

もういつ最終回を迎えてもおかしくないと思う。この作品は読者をなめている。

 

↓つぎ

「ニュートンの蕾」26,27,28話感想 - 糊塗日記

「ニュートンの蕾」24話感想

「ニュートンの蕾」23話感想 - 糊塗日記

↑まえ

集英社公式アプリ少年ジャンプ+にて毎週火曜日更新のフランス文学「ニュートンの蕾 第24色ある日のプロムナード」の感想を著者・玉響しゆに敬意を払いつつ書いていく。気合い入れていくぞ!うおー!

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いつもだろう

  • 絵のこと

まず副題のプロムナードとはなにか。調べてみるとフランス語で「散歩・散策」の意味らしい。キャラクターが外を歩いてる描写なかったけど。

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主人公の荻の肩幅が広い。ガタイのいい大学生くらいに見える。と思ったら次のシーンでは十何才相応の体つきになる。手癖で描いてる感じがする。さらっと卵の黄身を二個にするのも読者の神経を逆なでする。

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荻の妹・楓との会話はキッチンでされているが炊事場以外がふわふわした謎空間で表現されている。家の中なのに精神と時の部屋みたいな印象を受ける絵。

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目線が上を向いている?

その後荻が楓に頼みごとをするシーンでも彼の目線が上の方に向いていることに違和感がある。正面から見たときに間違いなく荻の方が背が高かったのに目線が下に向いていないのはおかしいだろう。

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そういえば妹のパーカーがノースリーブである。これまでに柊の体操着、橘とその弟(兄?)の家着もノースリーブだった。恐ろしい…。基本的に玉響世界の住人はノースリーブを好むようだ。今時見ないファッションなのに何回も着ているあたり作者自身変な性癖を持っていることに無自覚のようだ。ノースリーブは脇を見せる服である。下品な感じがする。

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みたらし団子?を大量にさらに盛っている。時間帯的に晩御飯であろうがそれとオムレツ(オムライスにも見ることができる)を一緒に食卓に並べるのはどうか。下手なオシャレ感を演出しようとするのをもうやめにしないか。

榊のターンに移る。

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は?

榊の登場も久々だから顔を覚えていないがこんな不気味な顔してたっけ?前髪を真ん中で分けてもみあげを耳の下くらいに伸ばしている。ダサい。それ以上にかける言葉が見つからない。

榊の表情がどんな意味を持っているのかわからない。大抵下手な漫画でも絵がセリフのどちらかで状況を伝えるものだがどちらとも理解できるレベルに不足していてなにもわからない。わかったところでなにがあるとも思えないが。

  • 話のこと

唯一良かったのは登場人物が多く顔見せしてたこと。これまで2、3人くらいしか1話分に登場していなかったのでそれぞれ一連の作品に見えなかった。単純に顔が見えるだけで話が繋がってるような気がして良いと思う。

肝心のストーリーラインはまったくわからない。今回は短い話を二つ、それぞれ楓視点と榊視点で描いており主人公の荻の変化を多視点的に描く演出をしていた。がいまいち2人とも感想が一緒で2話に分ける必要があったのか疑問。榊メインの話に楓が口を突っ込む構成ではダメだったのか。たぶん思いついたことをそのまま描いちゃったのだろう。

先週末から台詞回しが本当に難解になり、常人の理解を初めから期待していないようにすら見える。読者が理解できないことは大抵作者も理解していない。あまり読者の時間を奪うような真似をしないでほしい。

作中の人物たちは基本的に嘘をつかない。とてもつまらない。面白い作品のキャラクターはなにかしら嘘をつく。本心を隠すことでよりリアルな人間味が演出されるしその後の嘘が暴かれる展開にも期待せずにはいられない。

玉響世界に嘘は許されない。たぶん詐欺罪とかで罰せられるのだろう。思ったことをそのまま口にしまた思ったままに返答する。鏡に話しかけるより生産的でない。また人間味もない。

榊が荻の肩を抱き寄せるシーンがある。意味がわからない。よく読んだが、意味がわからない。場面が場面だけに巧妙なメタギャグのようですらある。どういう意味…。

  • 終わりに

先週の終わり方が最終回でもおかしくなかったし、いつ連載が終了してもおかしくないだろう。

まあ意味のわからない作品なのでむべなるかなとも言えるが設定を活かしてすこし工夫をすれば読めるレベルのラブコメとして楽しめたかもしれないだけに悲しい気もする。

話やセリフのリズムとかひどいので既成の漫画や映像作品を参考にしてみてほしい。独自の作風を貫き通して人気を得られるほど才能に満ち溢れた作者ではないだろうに。

「ニュートンの蕾」25話感想 - 糊塗日記

↑つぎ

「デリバリーおじさん」1話感想

少年ジャンプ+でおじさんが主人公の新連載が始まったので読んでみた。絵も悪くないしハードボイルドは一時期ハマっていたので期待して読み始めた。そのためかあまり面白くなかった。単純につまらないに留まらない、悪い意味で微妙な読後感を味わったのでそれを発散するために感想を書いていきたい。

全7回で終わるらしいことと絵の感じからわかるが実験的な連載だろう。作画担当の青野てる坊氏の名前を検索するとジャンプルーキーに投稿した過去の作品が見れる。硬い印象があるがこだわりが見られる絵を描いていて良い。読みやすいと思う。原作担当の岡悠氏の名前は検索しても竹職人しか引っかからなかった。無関係だろう。…無関係だよな?いずれも新鋭の作家なので公開する作品に多くは求めないのだがこの路線で成長していってもつまらないまま完成しちゃいそうな気がした。つまらないというか趣味が合わないと言い換えることもできるが自分の価値観が大衆から外れているとは思わないのでその辺はあまり気にせず書き進めていく。

まず一番文句が言いたいのはおじさんの表情だ。

主人公の佐々木(48)はデリバリーおじさんという便利屋の派遣みたいな仕事をしている。今回は高校生の依頼で彼の実の両親の墓参りに行くことになった。高校生真壁くんは事情があって墓参りに行けないためおじさんに代行してもらいたいというわけだ。細かい事情は長くなるのでここで説明しないがまあ人情のあるシチュエーションで悪くないと思った。

で、おじさんがいつもへらへら薄ら笑いを浮かべているのが問題だ。これから墓参りに行きましょうという本来緊張するような場面でもおじさんの表情筋は弛緩しきっており状況に合わない。この時点で筆者が求めていたのはおじさんのキリッとした顔だった。高校生相手ににこにこするのは接客の経験を見せる演出としてありだが誰もいないところでへらへらしているのは違うだろう。作品の空気がすこし怪しくなってくる。求めていたハードボイルド像がこのとき遠のいた。表情の緩みきったままの人物は底の浅い人物だ。

この作品はどうもリアル志向の空気を醸し出しているが出てくる人物がみな聖人君子並みの良い人である。オカルトとか魔法とかとは無縁な世界観だがだからといってことごとく聖人ばかり出しては読者の住んでいる世界から遠のく。作者はこちらの世界と作中の世界の距離感をかなり近く設定しているのだろうが、残念。こちらの世界は残酷なのだ。悪者でなくとも空気の読めないバカでも1人登場させていれば空気感が中和されて受け入れやすかったかもしれない。ババアから高校生に至るまで礼儀正しすぎるのはどう考えてもやり過ぎだろう。

おじさんのタバコの吸い方がダサい。途中「ん

プッハ」と盛大に煙を吐くシーンがあるのだが作画担当がタバコを吸ったことがないのがわかる。煙の量が尋常じゃないせいでギャグっぽい。電子タバコならまだしも紙タバコでこの煙の量はあり得ない。またババアの質問に答える直前で煙を吐くのでおじさんの態度が悪いように見えるしこの絵面のせいでふたたび緊張感が薄れた。

主人公の過去が見たかった。話が終わった時点でおじさんに欠点がなさすぎて面白くなかった。読者に「デリバリーおじさん」を読む理由を与えないとダメなのだ。現時点でそれは「30コインもらえること」だけであり、2話を読む読者は減るだろう。「主人公佐々木がまた見たいぞ」と思わせればファンもつくだろうし単純に続きが気になる作品に成長する。キャラクターの存在感も増す。短期連載であれその部分を1話から見せなければいけなかった。これが欠けていたことがこの作品の微妙な読後感につながったものと推測する。しかしキャラに魅力がないことがここまで致命的にこちらの満足感を削ぐものとは思っていなかった。それを気づかせてくれた点が筆者にとっての「デリバリーおじさん」の功績だろう。

とにかく期待はずれで残念だった。物語の洗練されている感じが全くなく、無料で読めるから良かったものの有料であればすごく嫌な気持ちになっていただろう。原作者の日記帳みたいな印象があった。こんなおじさんがいて、こんなババアがいて、こんな仕事があって、と趣味を全開にするのは望むところであるがせめてエンタメとして昇華してもらわなければ読者の心を掴めない。たとえ趣味の合う人物がこの漫画を読んだとて面白いと思うかは怪しいと思う。設定ノートや日記帳ならまだしも漫画に期待していた要素が色々と不足していたように感じた。

終わり。

自分の中で絡まっていた糸がほぐれた。すっきりした。

「ニュートンの蕾」23話感想

「ニュートンの蕾」22話感想 - 糊塗日記

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集英社公式アプリ少年ジャンプ+にて毎週火曜日更新の絵葉書「ニュートンの蕾」23話2等分パレット(後編)の感想を職人・玉響しゆに敬意を払いつつ書いていく。

視力が落ちた。

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脇を嗅いでいるみたいですね

  • 絵のこと

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前回のあらすじって感じに先週分をそのまま載せているが案の定なんの続きなのかわからない状況から始まるストーリー。

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なんか橘の前髪が伸びたような気がする。こいつに限らず荻その他のキャラクターも初登場時からしばしばイメチェンしている気がする。単純に絵が上手くなって昔のキャラクターと別人に見えることはあるけれど単純にそうと言いたくない。なんとなく流行りの作品に似せた感じがする。とりあえず別人っぽいというか、デザインがコロコロ変わるのは気が散る。

橘が走り寄って荻に接するところから始まったがその後の2人の距離がカメラワークの都合かあやふやになる。これだと下半身をふらふらさせながら会話していることになる。深く考えていなさそう。

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真ん中くらいまで読んで思い出したが荻が眼鏡をかけていない。色が見えすぎるとかで学校ではいつもかけていたのでは?そもそも場所にかかわらず色は見えそうなものだし特殊な体質なら四六時中かけててもおかしくないだろうにかけたりかけなかったりしているのはなぜ。

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デフォルトキャラで会話のリズムを崩すのが怖い。なんの意図があるのか。このタイプの作画かなり好きじゃない。表情の機微を描くことから逃げている感じがするからだ。

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この作品のキメ顔何を参考に描いているんだろう。少女漫画はみんなこんな表情を描くことが義務付けられているのだろうか。ほかの作品でもしばしば目にすることがあるが最も共感できない表情だ。ニコッとした途端顔が潰れるのはどこがかっこいいのだろう。響かない。

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錠前。柔らかそう。鎖も描かれてるが鍵が解かれたことと鎖との関連性が謎。

フルカラーの作品なのだが場面ごとに違う色をコマ外に置いているから目がチカチカする。場面単位じゃなく1話単位でメインカラーを決めれば見栄えとか変わるんじゃなかろうか。目も疲れないよう工夫してほしい。しないだろうな。

  • 話のこと

話しがひどくて絵の評価とかどうでもよくなってきた。

今回唯一良かったのは最終回っぽい雰囲気だったこと。終わるか?と思った間だけは精神的に楽だった。最後のページには「ご愛読ありがとうございました」の文字を必死に探した。「つづく」とあったので絶望した。

「逃げる」だの「逃げない」だのを主軸にしたストーリーだったがわけがわからなかった。何回か読めばわかるタイプのわからなさではなく何も考えていないことがわかるタチの悪いわからなさを感じた。

今週起こった現象を順番に整理する。

橘が先週荻を見かけた途端彼に走り寄ったが何も考えていなかったらしい。それなのに服の裾まで掴むとは健忘症かなにかか。褪色病の副作用的なものかもしれない。

そして褪色病により色が失われることが辛いと荻に打ち明ける橘。彼に打ち明けてどうするのか。荻は褪色病を治せない。医者でもなんでもないからだ。これまで橘が荻に悩みを打ち明けるほど印象的な出来事があったようにも思えない。そもそも動機がどこにもないまま話が進んでいるのだ。

すると荻が「逃げてもいいじゃん」とにこりする。この表情が見るだに気持ち悪い。個人的にはぶん殴りたくなる顔。今週通して荻が常に上から目線なのがすこぶる不快だった。偉そうにつらつらわけわからないこと話して解決した風な顔する男が筆者は一番嫌いなのだ。謙虚さという言葉を脳裏にも浮かべなかったであろう荻という人物の傲慢さが見られた。なおさら橘がこの男に惹かれる理由がわからなくなった。読めば読むほど謎が増えていく作品とは摩訶不思議だ。

「私も辛いときは逃げていい?」そして「私はもう逃げないよ荻」まで自然と繋げたかのような会話。謎。ここまで混乱させられる展開は初めてだ。わざとやっているとしか考えられない。

逃げるんだか逃げないんだか

「逃げる」とは具体的になんなのか

逃げたら自分の体質すら気にならないのか?

だとしたらこの作品の主目的解決してないか?

今週一番面白かったのは褪色病という架空の病の苦しさを「実感してる」と言った橘のセリフ。読者との気持ちの距離が離れすぎてて笑った。

  • 終わりに

もうわけのわからないものを書かないでほしい。つまらないならつまらないなりに理解可能なセリフで会話してもらわなくては困る。読後に「時間を無駄にした!」と思うのはこの上なく悲しい。

せめて毒にも薬にもならない、面白くもつまらなくもない作品が読みたい。

「ニュートンの蕾」24話感想 - 糊塗日記

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