【最終回】「ニュートンの蕾」29,30話感想
↑まえ
やばい。終わってた
- 29話感想
まず冒頭の花火。おそらく水面に映った花火を描いているため下に向かって飛ぶ花火が見せられる。わかりにくい。そして横向きに生える4人の表情。縦読みマンガでこの描き方はギャグっぽく見えるしやめたほうがいいと思う。もうちょっとやり方があるだろう。
花火で互いの声が聞こえない→顔が近づく→キス未遂のシーン
正直悪くない。顔があまりに近づきすぎだと思うが演出で少し考えたあとが見えていい。ただそのあと荻が橘の恥ずかしがる表情を共感覚で「赤色」とするのはどうなのかな。この作者は終始共感覚を超能力的なものとして捉えてた節がある。それがそもそもピンとこない。橘が恥ずかしがるのは共感覚なしでも火を見るより明らかやろがい。
橘が花火が見づらいということで荻お得意の花火がよく見える場所に案内する。べたべたすぎる。それになぜ最初からこの場所に連れてこなかったのか謎は残る。
どうやら「橘が絵を描く場所を探していたら荻が寝ていた場所」らしい。そんなシーンあったっけ。ないと思う。覚えてない。
ここから共感覚について作者の捉え方と読者の捉え方の剥離が大きくなっていくが落ち着いて読まなければならない。
共感覚のある世界が大変だったとか辛かったとかいまいちわからない。生まれたときからある超能力でもない感覚なのだから苦しいや辛いとは無縁の概念だと思うのだが違うだろうか。ストーリー中に共感覚が原因で辛い目にあったことすらないのに橘の「頑張ったね」の言葉が心に沁みる荻ってそれこそ読者は共感できない。
それに荻の言では橘以外の人間の言葉は心に響かないみたいな印象がある。なぜ彼女だけなのか。作中で触れないわりに繰り返し「彼女だから」「彼女だから」と演出しまくってて売れない商品の広告を見ている気分だった。だから根拠も理屈もないのに好きも嫌いも生まれないんだって。
橘のことを共感覚で覗くと「虹色」らしい。なんだそれは。
最終話に続く。
- 30話
虹色の意味が当然わからない橘(当たり前。誰に伝わるんだ)は荻に質問を返すがそれに対し「なんで虹色だと思う?」とさらに返す荻。有名なマンガなら「おっと会話の成り立たないアホが1人登場〜〜〜〜」とばかりに煽られても文句は言えない。実際会話が成り立っているようには思えない。
次の瞬間に「難しい。わからない」と答える橘もいかがなものか。わからないなりに答えを出すとかすこしは考えるそぶりを見せるとかわずかにでも知恵を絞ろうとする動作を見せて欲しいものだ。すぐにわからないと答えるのはもしかしたら作者の姿勢そのものかもしれない。考えろ。お前以外の人間はみんな考えながら生きている。
虹色の解説をする荻だが要約すると「感情それぞれがすごく鮮やかに見える」とのことだった。まじか。
それは橘でなければいけないのかい?がここにきて最高潮に至る。感情の振り幅が大きい女の子が橘以外にいない世界だったらしい。ならしょうがない。
感情を隠そうとしない。それがすごく清々しいと荻。だからそれは橘固有の特徴とはいえないと思う。また感情を隠さない女の子に対してドキドキしたりするだろうか。しないと思う。嘘をついているかすら完璧に見切れるであろうから。これまでの話との辻褄が合うかどうかが気になりすぎて2人の話が頭に入ってこない。これが最終回の高まりか…!
橘が褪色病について、そして荻が共感覚について独白しはじめる。改めて彼女の「黄緑と黄色が見えない」というセリフ。すこし笑える。黄色が消える前は黄色と緑色が見えたのに黄緑色は見えなかったんだ。
最後まで褪色病を活かした話がなかったな。途中ひよこをモチーフにしたキャラクターを出して感動的な話にしようとしたがそういう小物の出し方が色が見えなくなるのと順序が整いすぎてて作者の顔が見えてしまってダメだった。どうしても没入できない。
もし共感覚がなくなったらを真剣に語る荻もすこし怖い。髪の毛の質がある日突然変わるか?運動神経が突然悪くなるか?音の感じ方が突然変わるか?荻の語る共感覚がなくなるとはそういうことであり彼の語る言葉に重みがない。自分の体質であることをまだ理解していないようだ。再三言うがやはり共感覚に辛いも苦しいもないと思う。
話を聞いてなくてわからなかったがどうやら荻は橘に救われたらしい。よかったな。一から百まで話がつながっているように思えず聞いている方の橘もなにがどうなったかわからないが泣く流れだったので泣いたのだろう。まあ本人がよければいいよ。
最後に橘が荻の手を握ろうとしてやっぱ内緒と言って2人で歩いて終わり。
内緒て。感情隠さないんだろ。そこが澄んだ空気のようで心が洗われるとか言ってたじゃんお前。なにやれやれみたいな表情してるんだ。
- 終わりに
ニュートンの蕾
終わってくれたことに
ありがとう
ありがとう