糊塗日記

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「ニュートンの蕾」13話感想

集英社公式アプリ「少年ジャンプ+」にて毎週火曜日更新、玉響しゆ作・ファッションの最先端「ニュートンの蕾」13話の感想を書いていく。

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こんなエロ構図でここまでエロくなくなるものだろうか

  • 絵のこと

青空の素材も見慣れてきた。綺麗な水色に美しく雲が浮かんでいる背景素材なのだがまったく拡大・縮小して背景に合わせようとしない。そのため開幕目にする主人公・荻の家と空の位置関係が違和感だらけになる。家はそこそこ大きく描いているから近く見えるが雲は小さいので遠くから見ているような気になる。周りに荻の家より高い建造物も見当たらないので小高い丘の上に建つおしゃれ物件のようだ。テレビアンテナも唐突に設置されており不安定。

今回は荻とヒロイン・橘のデート回だ。朝起きて駅着いて合流して公園歩いて終わり。

キャラクターの顔の形とか手の形は工夫してうまく描いていると思う。前後のつながりや大きさのバランスはイマイチな部分もあるが輪郭線は悪くない。でも服はペラペラ。質感がまったく伝わってこない。カラー漫画なのだから服の塗り方こそ素材で誤魔化せそうなものだけれど一色塗って影をつけて終わらせている。帽子の質感も難しい。つばがついてるから野球帽みたいな硬い素材なのかと思いきやシワの具合がベレー帽みたいに柔っぽくてよくわからなくなっている。なにを参考にして描いたのだろうか。純粋に答えが気になる。

橘の私服がきつい。作中では6月30日で荻の服装も涼しげだが彼女はニット帽をかぶっている。涼しいニット帽もあるにはあるが、一般的でないファッションに挑戦したがるのは玉響の悪い癖ではないだろうか。単に露出の多い服でエロ目当ての数少ない読者を釣るのでは物足りなかったのか。サスペンダーのついたパンツで左太もものあたりにポケットが付いている。そこにスマホを入れているのだがスマホケースが作中で人気という設定のヒヨコみたいなキャラクターでわざと顔をのぞかせるようなデザインになっている。ギャグなのかなんなのかわからない。橘は前回右手でスマホを持っていたが今回は左手で持っている。ペン類は右で持つからおそらく右利きなのだが左ポケットで不便ではないのか。具合のいいショルダーバッグを持っているのに太ももの位置にスマホを収納するのは手間ではないのか。橘がパンツのポケットを使う理由は玉響のみぞ知る。どうにかしてくれ。

荻が一睡もできなかった状態で改札をくぐり、その直後シャキッとするシーンがある。このとき後ろのモブが驚くのはなぜなのか。どういうシーンなのかわからない。駅には結構な人がいるように描写されていたが誰も一人の高校生に興味などないだろう。荻が中心に世界が回ってますよという心理が描かれているようで不快。仮に有名人が駅構内でシャキッとしたところで周りの人物は微動だにしない。本当にこの一連のシーンの意味が不明。独りよがりに漫画を描くのをやめてほしい。

橘がヒヨコについて早口になるシーンでも通りすがりのモブが二人にコメントするシーンがあるが共感できない。その後荻も橘も周りの反応に見向きもしないしなんのための時間なのか。

という感じで一通りやることやったら橘が振り向いて「ふわっ」な感じを出すのだが読者にどういう反応を求めているのだろうか。呆れだろうか。絵でゴリ押そうとするのは無理だから違う方法を考え出してほしい。

二人のデート先の公園、背景は思い切って写真である。悪くない。中途半端に素材を使うよりよっぽどいい。自分で撮った写真ならフリー素材だしカラー漫画的にも違和感が少なくていいと思う。多用は禁物だが割といいシーンで写真を挿入したのではないだろうか。

橘がちらっと荻のことを見るポーズ。おかしい。ホラー漫画のようでかなり怖い。目の大きさも相まって恐ろしい構図になった。人間はちらっとするとき首も無意識に動かす。目だけを動かすから明らかにおかしいのだ。描き直してほしい。

最後らへんのページ。橘の表情が微妙に気持ち悪い。恥じらい?緊張?発見?とかいろんな感情があるようでないようで混乱する表情をしている。ポージングも上半身を大きく倒すような不安定な姿勢でよろしくない。腰が直角に折れているため深々と謝罪しているようだ。玉響は棒立ちにしない工夫はしているものの脳内イメージが特殊すぎて一般的な層に受けない性質がある。このポージングセンスがいわゆるそれらのひとつである。実際にこのポーズを自然に取れるかを考えられていない。考えてほしい。

古臭い擬音語はもう気にしない。呪縛のようなものに近い。

  • 話のこと

今回はこれが特にひどい。冒頭の荻のスマホから作中の日付が6月30日(土)であることがわかる。これは今年ではなく2029年だ。今からちょうど10年後の未来を描こうとしている。いつタイムマシンが出てきたっておかしくない。そういう覚悟をしたほうがいい。

話の大枠は起きて駅行って合流して公園散歩して振り向いて終わり。といったもの。起伏がない。慣れた。いわゆるカタルシスのような精神的快感を読者に提供する気がないらしい。

駅に着いた荻は最初、先に着いていた橘の存在に気づかなかった。この漫画の軸として荻の共感覚がある。彼には匂いや人の本質的な部分が色として認識される。橘は彼にとって特別な色を感じさせていたのに駅にいる人間によってそれは霞んでしまうのだろうか。共感覚という設定があるなら橘を人混みの中から見つけ出すようなシーンはそれを絡めて情緒的に描けないだろうか。荻は橘から声をかけられるまで彼女の存在に気づかなかった。共感覚を抑える作用のある眼鏡を外したあとも彼女の本質的な色にすこしも関心がなさそうである。いつの間にか共感覚が失われているようだ。橘も橘でたまに思い出したように褪色病のことを憂うのだが日常的な会話の端々にそういった片鱗はない。彼らを一人の人間として扱えばそれらの工夫は脚本を練るなかで自ずとなされるものではないだろうか。

橘がヒヨコに関して早口になって荻が思考停止するシーンがある。まともなヒロインなら自分の早口を恥ずかしがったりまくし立てたことを申し訳なく思ったりするのだろうが橘はにっと笑って早く行こうよと荻を急かした。褪色病は他人の顔色も見えなくなるのか。それに対して荻は「可愛い…」と反応する。彼の脳内はピンク一色なのか。彼はやたらと連呼するが可愛いとはなんなのか。性的な目線で見ているというアピールだろうか。橘を褒めるとき内面よりも外見を見ることが多いように感じる。荻は橘の病気とか夢とかそういうのに興味がなく彼女の顔が可愛くて胸がでかいから付き合ってやってる冷徹漢に見える。冗談じゃなく、これまでの言動からするとそう感じる読者がいてもなんら不思議ではないという話だ。

褒めるとかポージングとかのレパートリーをもっと一般的に、もっと流行りに乗っかれるように工夫してほしい。難しいことではないはず。

  • おわりに

玉響はツイッターで今回の二人の服装はあーって感じです。とつぶやいていた。なにそれ。あーって感じってなに。ダサいってことなのかキツいってことなのか下手ってことなのか、あるいは全部だろうか。そのほかにも日本語のかなり不自由なツイートが散見された。今回の話は玉響いわく「起承転結の起、の結にあたる」らしい。口うるさく添削するのは趣味ではないが最低でも言いたいことは伝わるようにできるだろう。今までなに考えて生きてきたらこういう不自由な日本語を使うようになるんだ。

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