糊塗日記

不定期更新。学生です。

「ニュートンの蕾」16話感想

集英社公式アプリ週刊少年ジャンプ+にて毎週火曜日更新「ニュートンの蕾」の感想をソシャゲプロプレーヤー・玉響しゆに敬意を払いつつ書いていく。本誌の地獄楽出張読み切り面白かった。

「ニュートンの蕾」15話感想 - 糊塗日記←前です

f:id:tits-tits22:20190618151250p:image

フードを被った複数の人間が巨人に立ち向かうような構図

  • 絵のこと

サブタイトルは「さざ波とアステール(序)」。アステールはギリシャ語で星の意味。もしくはグランブルーファンタジーのキャラクターのこと。

序盤で柊の弟・妹と思われる二人が寝ているようだ。妹の方の肩幅が先週登場したときの身長と噛み合わないけれど他に登場人物もいないので多分妹で間違いないだろう。その後柊の全身絵がある。6頭身近い。頭がパンパンに膨らんでいて首が細いのでサザエさんのような印象を受ける。子供を寝かしつけていた柊は夜9時半になっていたことに気づいていなかったようだ。デフォルメ絵で驚く。デフォルメ絵ってどういうときに使うのがいいのだろう。時刻に驚くような場面で使う表現ではないと思う。またこのデフォルメ絵が媚びているような描き方でなんか好きじゃない。

柊は胸がでかい。ヒロイン・橘も胸がでかい。だからといって色気を感じるわけでもない。メインキャラの胸がことごとくでかいのはなにかのメッセージだろうか。でかいだけじゃなくてそれを強調するような服をいつも着ている。私服しかりエプロンしかり。腰を高く見せて胸を強調する服をキャラクターに着せることを玉響は好む。「食事のお片づけよし」と言っているシーン。左腕の関節が二つあるように見える。描いてて違和感ないのだろうか。脱衣所の洗濯機と茶色くて四角いなにか。非常にのっぺりしている。やはり作者の基本姿勢として背景にはこだわらないのが一貫している。ドラム式洗濯機はフタを開ける部分が斜めっていないと服を入れづらいし回収しづらいだろう。服を描くときはある程度のロジックを守っているのだが背景にはそれがない。この後柊が服を脱ぐ。中途半端なタイミングだなと感じた。一桁台の話数なら人気確保のためにキャラクターを裸にするのはわかるがいまは16話。なんらかの外部からの圧力があったようにしか感じられなかった。スリッパが可愛くない。鼻歌を歌いながら体重計に乗る柊。先ほど見た主人公・荻と橘の姿を思い出している。なにをしていたんだろうと考えているがどういうシーンなんだろう。そもそも柊というキャラクター自体の登場頻度が高くないこともありこいつの思考回路がわからない。〇〇していたのかも!とか具体的な妄想をするとかならまだ性格を推し量れるのだが正直この女がいい人なのかそうでないのかもわからない。この漫画は全体的に倫理観を左右する描写に欠ける。ブラジャーを外した直後の柊の姿勢が訳のわからない状態になっている。一番近い状態で例えるなら肩や胸や胴体の位置が消えてるのでポケモンハクリューみたいな状態。煙で隠れている風でもないので謎カット。この後おそらく洗濯機内からの描写。ポーズも意味不明だがへそが2個も3個もあるように見える。シャワールームの鏡が横長で実用的でない。手すりになにもかかっていなくてやはり生活感がない。このシャワールーム本当に家族五人で使っているのか。

「橘さん学校に慣れたかな」→「友達もたくさんできたって言ってたし良かった」とモノローグが流れる。思考回路がわからない。伝わるようにしてほしい。柊はシャワーを浴びると前髪が伸びるようだ。横から髪が移動したような感じじゃない。伸びたようにしか見えない。ワンカットずつ別人が思考しているようにしか見えない。キャラクターのキャラクターらしい特徴が髪の色しかないため髪型が変わると途端に別人のようになる。前髪が伸びるのはおかしい。

もう背景は気にしないほうがいいのかもしれない。

  • 話のこと

今回はこれが特にひどい。今回は荻と橘が登場しない話。柊にスポットが当たっている。いまいち性格を測りかねているのでこれからってキャラだろう。いまさらだけど荻って荻野っていう名前らしい。なんかよくわからないんだよな。下の名前だったり上の名前だったり…まあ重要なことではないのだけれど。

今回は柊が風呂入って終わり。すごい。読み返してみてもあれ?こんなに短いの?と思う。話に引っ掛かりがなく印象的な場面がないので読後感が非常にあっさりしている。終わり方からして来週は柊の回想に入るのかもしれない。柊は荻と一年前に何かあったらしい。印象が変わったとか考えてるけどどうせ大したことじゃないんだろうなって感じがしていまから恐ろしい。玉響世界ではキャラクターが迎える転機はいつの間にかクリアしていて苦悩するのはどうってことないことばかりなのでまるで重力がおかしく働いているような錯覚を覚える。演出と内容がことごとく噛み合っていないのである。たとえばお腹が痛い!ということをすごく重要そうに描写し、まるで世界の終わりのような絶望感を演出するのはギャグ漫画の手法である。ニュートンの蕾はそれに近い。

なぜ登場人物にこれほどまで感情移入できないのだろうか。それは彼ら彼女らが一人歩きしているからだ。現実にある物事を解決するとき時間をかけて悩み自分一人で解決できないことを悟ったのち外部に助けを求めることがあるだろう。その点本作中の人物は悩みを自分の中の材料で難なく片付ける。その時悩むようなフリも忘れない。いまいち人間っぽくないのである。それゆえストーリーも一人歩きしているためTwitterでよくあるエッセーっぽい印象を読者に与える。この漫画を心から愛しているのは自己愛が過剰にある人間かTwitter中毒者と考える。それならば橘・荻らに共感するのはむべなるかなという感じだ。

  • 終わりに

感想というからには感じて想ったことを残していきたいと考えている。せっかくだから検索したら誰でもみれる場所に書こうとしたのはなんとなく宣伝の練習になるかなとか文章を考える習慣を忘れないためだ。自分の文章を読み返すのがいつも恥ずかしい。でも他の人の面白いブログを見るのが楽しかったのでこういうコミュニティに首を突っ込むのもいいかもなと思ったのだ。感想を書くのは楽しい。好きな作品ならもっと楽しいだろう。

「ニュートンの蕾」17話感想 - 糊塗日記←次です