糊塗日記

不定期更新。学生です。

「ニュートンの蕾」15話感想

集英社公式アプリ少年ジャンプ+にて毎週火曜日更新「ニュートンの蕾」15話の感想を雰囲気職人・玉響しゆに敬意を払いつつ書いていく。昨日は台風のなかジャンプを買いに行った。

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気丈に振る舞っているのか、あるいは脚本のアラか判断に迷う

  • 絵のこと

近代的な病院の背景から始まる。色ぬりがグラデーションだけで済まされているため、のっぺりしていて質感や立体感に欠ける。病院を描くにしてもこんなに引いて見る必要はなくて入口だけ書いたり「病院」の文字を見せるだけで読者は場面を理解してくれる。この背景おそらく病院なのだけれどセリフに定期検診とあるだけでヒロイン・橘の住むマンションの玄関前って感じに見えなくもない。実際は彼女の家は一軒家であるためマンション前でないことは確実なのだが説明不足すぎる。この玄関も今更ながら病院っぽくない。橘とその母親のいる場所がわからなくなってきた。二人の立っている石畳もぼかし方が気持ち悪くて遠近感が惑わされる。手前も奥もぼかすジオラマみたいなカメラワークでよくわからない。「大丈夫だよ」で始まるコマは背景がどんな場所がわからない。ガラスがあるからドア付近っぽいのだが直前までドアから離れるように二人が歩いていたため混乱する。なによりこのドア開閉しそうにない。玉響は背景を画面を埋めるツールくらいにしか思っていないらしい。場面説明を担う他の漫画とは運用が明らかに違うことが絵作りからわかる。コマ外の黒い描写もなんとなくそれっぽい素材を使っているのが伝わってくる。大した意味はない。サブリミナルで挿入される陽光っぽいエフェクトもそろそろ目障り。なにを意図しているのか謎。

先週先々週で描かれたデート、橘側は親公認であることが発覚。橘の親は彼女のことが心配ながらも彼女自身の自由を尊重して口を出せないでいる様子。なのだが直前の橘の言動が病気で辛いけど気丈に振る舞う女の子としては説得力がないため母親の表情がなにを語るのか読者に伝わらない。日本のドラマでよくあるカメラワークでよくある表情挟んでおくか!って印象があってすごく安直。

ここまでが回想。先週話の最後に話が戻る。

橘視点で黄色が失われたため先週まで黄色だった部分が灰色に表現されている。しかし主人公・荻の帽子の黄色はそのまま描写されている。視点があやふやで読者の混乱を招く。この後の吹き出しがおそらくセリフなのだが形がそれっぽくなくて橘がそういうセリフを荻に求めているように見える。あんまりセリフっぽくないしその内容がよくわからないからだろう。「ごめん橘…俺が誘ったから」という感じのセリフなのだが彼女の患う架空の病気・褪色病はそもそも色が失われるのは防げる事態ではないため荻のせいではない。防げない以上橘自身には日常生活において一定の覚悟が求められるはずなのだが黄色が失われた時点で初めて病気のことを知ったかのようにショックを受けていて違和感。それをわざわざ荻に伝えているのが面倒くさい性格に見えて鬱陶しい。冒頭のシーンによると黄色の前に黄緑色が失われていたらしい。黄緑色に黄色は含まれないのか。含まれないのであれば彼女にはその二色以外の色彩がすべて見えていることになり病気の辛さが共感しづらい。荻と出会った段階でかなりの色を失っていれば話としてちょっと辛めな描写もしやすかったのではと思わずにいられない。そもそも黄緑とか黄色とかがどの程度の判定を持っているのか不明。橙色と黄色と白色は程度があれど似た色だ。これらは別物として考えるのか。たとえば蒸栗色(むしくりいろ)(R:239G:234B:204)という薄い黄色は一見白とも言える色だがこれは彼女に見えないのだろうか。細かい問題だがおろそかにはできない点だ。ニュートンの蕾はフルカラー漫画なのだから。

橘が逃げ出す。荻が手を掴む。ここで二人の横顔が描かれるが違和感を覚える。顔の向きが読者の混乱を招くのだ。イマジナリー・ラインと呼ばれるもので登場人物の間に引かれるこの線を唐突に超えてカメラが動くと視聴者は画面を見づらいものとしてとらえる。ひどいことにこの一連のシーンでカメラはイマジナリー・ラインをぴょんぴょん飛び越えている。この概念を知らなくても普通見直した時に見づらさを覚えるものだと思うのだが。見直してほしい。

夕焼けの色がピンクっぽくておかしい。信号機が平べったい。小さい子供の服装が気持ち悪い。頭が大きい。表情が見ていられない。無風状態で帽子を抑える柊さん。

  • 話のこと

今週は特にこれがひどい。といっても絵の項目で大部分触れていてあんまり付け足すこともない。

相変わらず台本を読んでいるような台詞回しでリアルさがない。表情と場面とがかみ合わずちぐはぐ。背景の描写が不十分で位置関係を把握できない。

今週の最後には柊という水色の髪の同級生が久々に登場する。彼女は橘と荻が二人でいるところを弟・妹と思われる子供と一緒に目撃するのだが波乱の予感がしない。作中で柊は他のモブとは違い聖人君子的なVIP待遇を受けているキャラクターの一人なのでこれを悪事に利用される気配がないため引きが引きとして成り立っていないように感じる。

今週も今週とて荻がなにもしなかった。どこに行こうとしたのか走り去ろうとした橘を呼び止めて、病気に関してはなんの力にもならないしなんか自分が責任を感じてるけどとりあえず一緒にいるよという旨を伝えただけ。なにがしたいのかわからない。荻はそれで満足かもしれないが橘にとってそれはどうか。絵を描くために公園に連れてきてくれたがそれは必ずしも荻でないといけないのだろうか。こう考えてしまうのは共感覚という彼自身のアイデンティティが話に活かされていないからだろう。今後彼がなにをするにしても独自性がないためにこのように角が立つことになる。

物語に必然性がなくてその結果説得力がないから目が滑るのだろう。いまのところなにを描こうとしているのかわからないので今後も静観していこう。

  • 終わりに

最近本作を読んでいて笑うことが増えた。唐突な展開で不可解なことを言ってキャラクターがわかった風な表情をするのがギャグ漫画の構造と似ているからだろう。橘がリコピンだと思って読めば存外面白い作品なのかもしれない。

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