糊塗日記

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「ニュートンの蕾」11話感想

集英社公式アプリ少年ジャンプ+にて毎週火曜日更新、玉響しゆ(たまゆら・しゆ)のハイクオリティ・イチャイチャ漫画「ニュートンの蕾」11話の感想を書いていく。

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コピーペーストされた前回のあらすじ

  • 絵のこと

前回電話に出たヒロイン・橘の姿勢が気になるみたいな話をしたけれど今回はその辺作者がよく考えていないことが伝わった。前回はビデオ通話に対して両手がフリーで主人公・荻の画面には橘の脚の付け根あたりまで映っていたのだが先週話のそこらへん完全に無視して橘は今週でかい胸を机の上に乗っけるような姿勢だった。ビデオ通話で週をまたいでいるのだから画面に映る姿は基本的に同じであるべき。

また橘の絵は先週からずっと荻視点であるため正面絵ばかりで画面の変化に乏しい。神の視点から横顔や後姿を見せるだけで話の成り行きもすこし違った印象に見せられるはず。作者・玉響はカメラワークに工夫を施すことを嫌う傾向にある漫画家のようだ。しかし多くの読者は正面絵ばかりの漫画は求めていないので考え直して欲しい。

なんとなく以前から気になっていたが顔と手の比率がおかしい。今週は荻の妹・楓が橘と通話中の荻にちょっかいを出して橘が楓の言葉遣いに赤面するシーンがあった。彼女は口元を隠すように手をやるのだがどう見ても頭が大きい。最近の流行りだと両手の大きさは顔を8割方覆うぐらいの女の子絵をよく見る。それくらいがリアルな大きさだし読者が心地よいと感じる比率ではないだろうか。顔面の3割程度しかない両手には直感的な不気味さが伴った。またこのとき橘の背後には「大人の会話…!!」という文字が入っている。楓のセリフを大人の会話と感じるかは読者の感想でしかなく効果音のような演出で書き加えるべき事項ではない。そして楓のセリフは大人っぽいというより自分のことを勘違いした女性の痛いセリフだったので挿入する効果音としては「イタい女…!!」がもっとも適切。そもそも形容詞をセリフ以外に書くのをやめるべき。視線の誘導が複雑に絡み合うのは非常によろしくない。フキダシを読むことと効果音を読むこと、キャラの顔を見ることを人間は並行処理しようとするため画面はすっきりさせて見せたいものだけに絞るのが理想的で、それはほとんどの漫画家が心がけていることである。この漫画が読みにくいと言われているのは色塗りの部分もそうだが画面上の工夫が著しく欠けているからである。

今週感じたのは玉響の感性が古臭いこと。「カアァァ」「パアァァ」などの効果音、ぞわぞわしたときの全身に毛が生えるような演出、やれやれといったときの線をぐるぐるするやつなどの漫画的表現が一昔前の作品のよう。絵はおかしい部分に目を瞑れば現代的といってよいだろうし時代設定も現代だろう。なのに演出が古臭いせいで画面全体にミスマッチさが生まれ作品としての下手さや不勉強な部分が露呈してしまっている。恥ずかしがったり舞い上がったりは効果音に頼らず表情の描き方に全力を注ぐべき。漫画的なアイコンも多用せずセリフやその他一連の流れで内面を表すことができるはず。漫画は作者の画面作りに期待して読んでいる。玉響には期待できない。

  • 話のこと

今回は妹の意味不明な乱入、脳内お花畑な橘を除けば割とよかったと思う。

まずビデオ通話に妹が乱入した理由についてはよくわからない。一通り荻を誘惑するんだか橘を困惑させるんだか目的の判然としないやり取りをしたあと部屋を出る際に「その子彼女さん?」と訊いている。彼女だとも思ってない女との通話になぜ割り込んだのか。いっそ橘は荻の彼女であると完全に勘違いしている方が妹の行動原理も見えてくるのだが去り際の一言が事態をごちゃごちゃにかき乱した。橘も荻が幼い少女と話しているのを見て「大人の会話…!!」ではない。彼女の存在しない病気・褪色病は画面越しの女性の年齢がわからなくなる症状も持っているのだろうか。理性があれば夜の時間帯、同じ屋根の下にいるのはおそらく兄弟であろうと予想がつくはずである。このあたりのシーン、特に噛み合わない会話が続いていて読んでいられない。

よかった点は荻が勇気を出したことである。勇気を出して橘をデートに誘ったこと。以上。

11話にして初めて荻は自分から行動して橘にデートの話を持ちかけた。親友・榊の助けがなければなおよかったがしょうがない。これまで偶然や縁とか限りなく不確かなものに頼り続けてきた荻だが今回やっと主人公らしいアクションを起こした。他の漫画が当たり前に第1話に組み込んでいることを11話にして遅ればせながら表現することで「ニュートンの蕾」一皮剥けたのではないだろうか。

しかしこの後橘は荻の勇気の決断に二つ返事でオーケーする。これがよろしくない。主人公の勇気には最大の試練が課されるべきである。でなければ物語に起伏は生まれないし続きが気になることもない。「デートに誘う→快諾される」では階段を二段しか上がっていない。今回山場だと思わせていた一幕は登ってみればどうということはない小高い丘でした、という具合のガッカリパートに成り果てた。たとえば荻を勘違いさせるような展開で橘の返事を次回にまたいでもよかった。それこそ妹の乱入は橘の返事を遮らせるのに絶好のイベントだったはず。そこらへんうまく立ち行かないのがやはり「ニュートンの蕾」なのだなと感じさせる。

努力に対して対価が払われるのがあまりにも早すぎるのがストーリーの平坦さを強くしている。

一見気持ち悪いキャラクターが作品世界では人気キャラクターであるのも五年前くらいに流行ったがいま描くべきことではないだろう。麺の伸びたラーメンを見ている感触。

荻が橘の声に悶えるのもそろそろ食傷気味。悶えるとしてもタイミングを調整することはできるはず。通話を始めてすぐではなく、通話を切ったあとの余韻で彼女の声を思い出すとかまた聴きたいと考えるとかであれば感触も悪くないはず。荻が悶えるシーンを作中何回も挟む意図がわからない。玉響は読者になにを期待しているのか。

  • おわりに

前述したように荻が勇気を出したシーンがよかった。描写不足であったり完全に自分の判断ではなかったりしたがそういう山場らしいものを毎話見せるようにしてほしい。その結果ガッカリであれ平坦であれ、ストーリーらしいものを錯覚させることができる。

あとはキャラクターを無作為に動かすのをやめてほしい。読者のニーズに合わないアクションは単純に作者と読者の距離を広げる行為であり、読者の時間を奪う行為だ。漫画は現実世界に疲れた意識の箸休めとしてあるべき。その貴重な時間をぜひ潤せるような努力を見せてほしい。

マリー・アントワネットが貧困の民を目にして己の裕福を実感したように「ニュートンの蕾」を見てほかの様々な漫画や映画の面白さが身に染みるようになった。その点については本作に強く感謝している。

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